第100回「ネット・ジャーナリズム確立の時」

 既成のマスメディアが伝えるものに飽き足らない――インターネット上のメールマガジンを中心にした「ネット・ジャーナリズム」は、その不満に十分応える存在に育ったと宣言していいのではないか。そういう趣旨で、3月初め発売の月刊誌「論座」4月号に「ジャーナリズムの可能性を開くメールマガジンの<責任言語>」を寄稿した。雑誌の性格上、ネットに不案内な中高年の読者層向けに書いたが、私のコラムも第100回を迎え、ここで稿を改めて過去数年の歩みも振り返りながらネット・ジャーナリズムの可能性を考えたい。

◆ジャーナリストが個人として動き始めた

 巨大なメディア組織に埋もれ失われていたジャーナリスト個人としての存在を取り戻し、自己責任で本音を伝え、受け手から反響が直接感じられるインターネットからの発信は、既存のメディアよりはるかに知的興奮に満ちている。どんなメッセージか。既成メディアとの差を具体例をあげて紹介する。真実だと直感できるばかりの見通しの良さ、切れ味を身上とする。

 1993年3月、コソボ問題を機にNATO軍が始めたユーゴスラビア空爆に、極東の地にいる身として理解しがたい違和感にとらわれた方が多いと思う。ユーゴ内戦の悲惨さは、もう見飽きるほど見た。十分だ。何を彼の地の人々は考えているのか。それなのに、マスメディアが伝えるのは、テレビゲームを楽しむようなNATOハイテク爆撃のシーン、それに現地の惨状の羅列ばかり。

 しかし、インターネット上では、既にその半年前に国際ジャーナリスト田中宇氏のレポート「バルカンの憎しみとコソボの悲劇」で知らされていた。コソボ問題にはいずれ火が着かざるを得ない。「セルビアの武力によって他の民族の離反を防ぎ、ユーゴ連邦を維持しようと考えた」ミロシェビッチ前大統領が、大統領になる前から仕掛け、想定していたユーゴ民族戦争の発火点は、あのボスニア・ヘルツェゴビナなどではなく、コソボだったと。87年、コソボの中心地プリスティナで行った「セルビア人には、コソボを取り戻す権利がある」との演説に全ての始まりがあった。

 田中氏はネット上で目を付けた世界のホームページを毎日、自動巡回ソフトを駆使して徹底的に情報収集し、膨大な資料を読み倒した「上澄み」でニュース解説を書く。不勉強な記者がいきなり何人かの専門家から話を聞いて走り書きした記事とは本質的に違う。

 もうひとつ、やはり99年春の日産自動車とフランス・ルノーとの提携。高効率の代名詞だった日本的生産システムを駆使して向かうところ敵なしだった自動車産業の陰りに、やはり既成メディアは、日産の再建は可能かといった視点でしか取り組まなかった。

 私の連載コラム第68回「日本の自動車産業が開いた禁断」が提供したものは違う。

 「かんばん方式」などで知られる日本的生産システムは、様々な無駄をそぎ落として優位に立つものの、インターネットで研究が公開されているように欧米自動車産業側にも広まり、歴史的な労働慣行などで縛られていた制約を解き放ち、果てしなく続く過酷な競争へ「禁断の箱」を開いてしまった。そうなった現在、この国のホワイトカラーの生産性の悪さ、さらには官僚と政治家の生産性の悪さは決定的な意味を持つと説いた。事態はそう進んでいる。

◆それはメールマガジンから始まった

 読者がわざわざ見に行かねばならないホームページで多くの人に読んでもらおうとすれば限度がある。しかし、ネット・ジャーナリズムは日本独自で発展したメールマガジンを主な媒体にする。

 メールマガジンは深水英一郎氏が97年初め、個人で開設した配信システム「まぐまぐ」に始まる。企業が大量のメールを配信するシステムは存在したが、新しいシステムは、個人の編集長と個人の読者を相手にした。誰でも登録すれば無料で数百通でも数万通でも、思うときに送り出せる。最大手「まぐまぐ」が、新規マガジンの情報を利用者に届ける週刊誌は、発行部数が330万を数え、広告収入で配信システムは維持されている。同様の他システムを併せ、マガジンの種類は数万種、利用読者の実数は500万人以上に達しよう。「まぐまぐ」だけで延べ読者数は2600万人を超える。

 ネット・ジャーナリズム最大のメールマガジンは、冒頭に紹介した16万部を超す「田中宇の国際ニュース解説」。共同通信の記者だった96年に、米国通信社からの記事を翻訳するセクションに異動し「英文メディアの底の深さを知り」ニュース解説を始めた。国内メディアには乏しい「世の中をどう見るか」という見方こそニュースの本質と知ったという。97年にマイクロソフト・ネットワークから誘われて入社、「MSNジャーナル」を立ち上げ、執筆と編集に携わる。その後、田中氏は独立するが、MSNジャーナルはネット・ジャーナリズム執筆者のコラムを転載するようになり、もっと広範囲の人にメッセージを伝えられるシステムが出来上がった。

 膨大な数のメールマガジンの中で、ジャーナリズムと言える存在は少ない。読者側も気軽な気持ちで付き合っている人が圧倒的だろう。それでも健康や環境、暮らしなどのミニ知識、教育、教養関係の話題、官庁情報や経済・ビジネス情報まで広げると、有用なマガジンは数多いことに気付く。

 読者側から見て気軽であることから、この国で乏しかったメディアリテラシー(メディア読み書き能力)育成の好実践場にもなる。私のマガジンを例に取ると、年間で1万数千人が新しく購読を始め、数千人がやめていく。読者2万人前後のマガジンでは、似たような状態らしい。日々の配達を頼んでいる新聞を取り替えるには決断と手間が必要だが、メールマガジンは購読も停止も極めて簡単。漫然と同じ新聞・テレビを利用し続ける日常とは違う世界が存在し、やがては本物のメディア鑑定力へと進化する可能性を秘めていると思う。

◆知の意味を問いかける送り手たち

 書き手側からもみても、既存のメディアから自由な、メールマガジンというメディアの存在は実に大きい。作家村上龍氏が経済・金融関係のマガジン「ジャパン・メール・メディア(JMM)」の発行をはじめたのが99年3月。1カ月で3万人の読者を集め、現在は8万8000人にも達している。デジタル情報誌「HotWired Japan」のインタビューで経済・金融分野で「既成メディアは何も伝えていない」と厳しく指摘している。「公的資金投入で、不良債権問題は解決したのか。もっと前から言うと、不良債権はどのくらいあるのか、というようなことはまったくわからなかった」「突然、長銀が潰れたり、突然、拓銀や山一が潰れたりする」

 既成メディアの「トップダウン型の何かを知らせてやるという態度と、それを享受するという国民の側と、わかってないくせに、さも何かがわかってようにしゃべるニュースキャスター……という構図」に嫌気がさした村上氏は、経済金融専門家たちと実に専門的な討議を始めてしまう。簡単には読み下せない質と量を持つ氏のメールマガジンに、何かがあると感じた読者は真剣に考え始めざるを得ない。

 自然科学分野で、新聞の科学・文化面がはるかに及ばぬ高みにまで達しているのが「ネットサイエンス・インタビュー・メール」である。サイエンスライター森山和道氏が各分野の専門家を相手に長い長いインタビューを展開していく。数理学者から、ロボット学者、火山学者、分子生物学者、生態学者、心理学者まで様々な専門家が登場する。聞き手が十分に渡り合えるだけ勉強している上に、専門家も逃げないで核心部分まで話題を掘り下げる。不勉強な記者が来たら、安易な喩えで済ませてしまうだろうところもちゃんと話してくれる。そこに読者は最前線、本物の思考を見る。

◆市民社会が生み出した必然

 数え上げればきりがないほど、様々な知性が活動を始めている。一方で、既成メディアの不勉強ぶりは、取材を受ける専門家の間では前々から問題視されていた。いま何が起きているのか、私の第25回「インターネット検索とこのコラム」の解説が一番だろう。

 「高度成長期に入るまでは、新聞がカバーしていた知のレベルは社会全体をほぼ覆っていた。技術革新の進展と裏腹の矛盾、歪みの集積は社会のあちこちに先鋭な問題意識を植え付け、新聞がふんわりと覆っていた知の膜を随所で突き破ってピークが林立するようになった。特定のことについて非常に詳しい読者が多数現れ、新聞報道は物足りない、間違っているとの批判がされている。新聞の側はそれに対して真正面から応えるよりも、防御することに熱心になった。読者とのギャップはますます広がっている。なぜなら、知のピークはどんどん高くなり、ピークの数も増すばかりだから」

 これは10年以上前からの現象であり、私の勤める新聞社がパソコン通信ネットを立ち上げたときから私は電子ネットの世界でそれと関わり、その後、新聞の地方版紙面で読者のネット討論を収録するなど、市民の生の声に濃厚に接する機会を持ち続けてきた。現在、知のピーク群はホームページとして現れ、正当な評価を求めている。この記者コラム「インターネットで読み解く!」は、知のピークを集めて、政治経済から教育、社会、科学技術まで広い範囲で既成メディアが及ばぬ高みを目指している。読者の皆さんがご存じの通りだ。