グローバル競争社会化の元凶は日本 [ブログ時評05]

 ニートについての議論が奇怪なほど盛り上がりを見せ、国際調査データが発表された学力低下問題と合わせて、ブログの世界で教育についての関心が高まっている。底流は競争社会からのドロップアウトへの関心だろう。そんな中で、競争社会で子どもをどう育てるか議論しているグループを見つけた。「ベンチャー企業社長の挑戦、そして苦闘」の「競争社会を生き抜くために(2)」や、「at most countable」の「やっぱり『子供は大人社会の鏡』だと思う」を中心にしたエントリー、トラックバック、コメントである。

 「競争社会を生き抜くために(2)」は「人格が形成される時期から、競争・勝ち負けを体験し、想像力・創造性を養う――この2点が必要だと思います。そして、残念ながら、今の社会は、この2点に加速しながら逆行していっていると思えてなりません」と学校教育の現状を指弾する。親たちの過敏なまでの反応・圧力でそう出来なくなっている点について、「やっぱり『子供は大人社会の鏡』だと思う」は「勝ち負けに対して大らかでいられなくなったのは」社会全体の風潮が「『勝ち負けが全て』みたいな価値観が支配的になってしまっているから、学校現場の他愛のない『勝ち負け』すら『シャレにならなく』感じられてしまう、そう思えるんです」と応えている。

 ニートを巡る様々な議論を読んで感じたことであるが、いま個人が立っている地点では納得できる事柄かも知れず、若い世代の方がブログを書いているとしたら、社会に目を向け始めた頃は既に90年代の「失われた10年」だったかも知れない。そこからの長い長い閉塞で、年長の方にも、今あることがずっと続いているかの錯覚に陥っていないか。戦後日本史だけでなく世界まで目を広げた同時代史の視野を持てば、自ずと違う見方が出来る。

 まず第一に知って欲しい。競争社会は海外から押しつけられたものではなく、グローバル競争社会化を仕掛けた元凶は日本なのである。99年に私の連載第68回「日本の自動車産業が開いた禁断」でこう書いた。

 日本自動車産業で開発され「日本の専売特許のように思われていた『リーン生産方式』は、世界中に広まってしまった。私はこれがもてはやされた始めた頃から、ふたつの点で懐疑的だった。まず、労働は人間文化であり、社会の存在のありようと密着している。その国の労働のありようを根こそぎ変えることが許されるのか」「もうひとつは、現実に起きていることである。総合的(全社的)品質管理TQCは偉大な成果を挙げたが、所詮はきちんと測定して統計データを採っていけば、誰にでも可能なことである。きちんとやり通すことは日本人の専売ではない。徹底的にやるという意味では、米国人に歩がある」

 90年代初頭のバブル崩壊と経済財政運営の失敗で始まった「失われた10年」の印象が強烈過ぎて、80年代に「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と米国を凌駕するとまで謳われた時代に何があったか忘れられていよう。日本の自動車産業や家電産業は「安かろう悪かろう」から出発して、世界を押しまくり、結果として世界の労働文化の多様性を大いに壊した。

 その優位性は物づくり現場周辺に限られ、豊かな創造力はソニーなどほんの一握りのメーカーが具現しただけだった。独自労働文化が倒され、何でもありになった欧米の産業界にとって追いつくのは苦ではない。さらに経営者を含めたホワイトカラーの力量差はもともと大きく、政治・行政を含めた立ち後れはどんどん進んでいる。それは第69回「続・日本の自動車産業が開いた禁断」で描いた。90年代初頭の崩壊劇が無くとも逆転必至、いや、あの崩壊劇そのものが政府にもアカデミズムにもマスメディアにも一国の経済運営を見通す眼力が無い、「砂上の経済世界一」の証明であった。

 「ジャパン・アズ・ナンバーワン」の80年代、教育の世界でも大きな変動が起きていた。学校内が安全でなくなる事態、子ども同士が傷つけ合う――これまでの常識になかった。私は第95回「学力低下問題の最深層をえぐる」で「プロ教師の会」を主宰する中学教諭の河上亮一さんの発言として、起きている事態をこう紹介している。

 「十数年前からそれ以前と全く違った『新しい子ども』たちが登場したのではないかという感じを持っています」「特徴はひ弱で、しかも他方で非常に強いと言いましょうか、攻撃的と言いましょうか」「生徒たちは学校で学ぶ姿勢というんでしょうか、学ぼうという意欲を大幅に低下させているという気がします。30年前の中学生と現在の中学生を比べますと、学校での学ぶ姿勢は大きく低下していると思います」「基本的に学校というところで何を学ぶ必要があるのかないのか、こういうことが子どもも含めて親についてもはっきりしなくなっているんではないだろうか。こんな感じを持っています」

 この世代こそ「団塊の世代ジュニア」であり、団塊の世代の生き方をコピーしていた。もちろん、華々しい学園闘争などを戦った青春像のコピーではない。戦後の知性を批判し、偶像を破壊した割には自分たちが主役の時代になっても新しいものを生まなかった。いや、主役になろうとせず、「老害」と呼ばれる世代に喜々として追従し続けた。第一次石油ショックの前に社会に出て就職してしまい、成長社会の中、右肩上がりの安寧をむさぼり、前例踏襲主義の管理職になり高収入を得てきた。その生き方の反映である。

 この世代に対して採られた国の迎合施策が、世界に冠たる存在だった教科学習の間引き、ゆとり化、受験戦争の表面的な緩和だった。

 一方、グローバル競争社会化に対処するため高等教育に期待が掛けられるはずだったが、理系も文系も研究者たちには他流試合を挑むどころか、自分の周辺に深い蛸壺を掘るスタイルが蔓延した。国際級の研究成果なら世界共通基準で価値が計れたが、多くの研究は「蛸壺」の外に出してみると、どこで何と関係しているのか、どんな価値があるのか見えなくなった。第74回「大学の混迷は深まるばかり」では以下のように言うしかなくなった。

 この国の大学と大学生から世界に通用するベンチャーがなかなか生まれない理由も、自ずと明らかだろう。我々の社会が持つ大学教育の「仕組み」は、酷な言い方をすると、個性的、創造的なものを排除する方向にある。本来、大学は創造的な空間のはずだが、何が創造的なのか、私の体験で述べたように大学人にも分からなくなっているのだから、創造的であり得ようはずがない。

 団塊の世代を含む中高年層は、自ら起こしたグローバル競争社会化のツケを次世代にまるまる負わせて良いのだろうか。小泉改革の登場に、私は大甘を承知で、英ブレア政権の改革とダブらせてエールを送った。しかし、労働党の変革と一体になっている英国と違い、小泉「個人芸」改革はやはり本質的な改革になっていない。企業は国際競争の激化、業界ごとの横並び・護送船団方式崩壊から業務外部化や派遣労働導入で社員採用のハードルを上げた。ここに至っても最後まで新しい社会像を作ろうとしなかった団塊の世代は、家庭内でもニートやフリーターのような逃げの存在を作り出した。このまま退場して年金生活に入るのなら、二重の意味で罪作りではないか。