京都議定書、本当の問題点を言おう [ブログ時評11]

 地球温暖化に対する初めての国際的な枠組み「京都議定書」が発効した。ネット上で真剣に議論されているのは結構なことなのだが、3年前、日本批准の際に、第119回「京都議定書を批准しても対策は幻を書いて警鐘を鳴らした立場からすると、厄介な場面に立ち会ったと思ってしまう。身の回りの省エネ、省資源からと意気込んでいらっしゃる方には水を差すかもしれない。まず、ニューヨークタイムズが掲示しているKYOTOグラフを見て欲しい。

 グラフの主題は各国別の温暖化ガス排出量(2002年あるいは2000年段階)である。1990年のレベルも添えられていて、先進国側にだけ、これに対して数%の国別削減目標がある。先進国、途上国を色分けした批准国地図も添えてある。排出が多い順位に米、中、ロ、印、日、独、ブラジル、加、英、伊が10カ国。「この10カ国の中で温暖化ガス排出削減に血の滲む努力をしなければならないのは日本だけ」と言われたら、京都議定書に対する見方が一変してしまうのではないか。

 順番に見ていこう。世界排出の4分の1を占め、90年より大きく増やしている米国は批准するつもりがない。同じく90年レベルを大きく上回っている中、印、ブラジルは途上国で削減義務はない。ロシアは経済停滞で排出は減っている。ドイツは東独併合で旧式設備で大量排出していた東の枠を取り込めた。英国は二酸化炭素を大量に排出する古い石炭火力から北海天然ガスに転換、90年レベル以下の排出でしかない。イタリアを含めてEU全体として計算することにもなっていて、東欧諸国の参加で枠にはさらに余裕が生まれている。日本以外では唯一、カナダだけが苦しい立場だが、グラフの右に国民1人当りの排出量が表示されていて、米国並に多く、日本の2倍以上もある。

 雑巾にどんどん水を吸わせている国と、濡れ雑巾をちょっと絞ればよい国の間に、過去から省エネ・環境対策で雑巾を絞り切ってきた日本がいる。

 歴史を振り返れば明治政府が最初に結んでいた不平等条約か、それ以上に可笑しな立場に立っている。あの時代なら白刃を抜いて壮士が政府高官に斬り込みにも行きそうなほどだ。ほとんど国辱ものの現状について、マスメディアははっきり伝えないし、オルタナティブであるネット上の言論にも認識が乏しい。中でも「日本人に温暖化なんて関係ない」「どうでもいいよ、自然が一番」と笑っている人を脅してみよう。

 政府による、新しい温暖化ガス排出削減計画がようやく明らかになった。  32.9%も増えてしまった家庭やオフィスなどの民生部門では、さすがに純減は諦めたものの、現在から2割も減らす無謀な計画になっている。排出権取引などによる分が「-1.6%」と付け加えられたが、「京都議定書を批准しても対策は幻」で描いたように、国際的な排出権買い取りしか行き着く先はない。どれくらいの規模でどこに払うのか。

 「市民のための環境学ガイド」の「ロシア京都議定書批准確定」は「色々と仕掛けをつかっても、1.3億トンは最低でも削減しないと」「それを排出量取引なる金で解決するとして、1トン1000円とすると、1300億円」とはじいている。それも、あの北方四島返還を二島に値切ろうとしているロシアに払い続けることになるはずだ。もちろん新財源、税収が要る。

 経済産業研究所の「外交問題としての京都議定書」には世界の排出量見通しがあり、途上国の経済発展に伴い2010年から2020年には22%も増える。削減の枠組み内にいる日欧加の分は2010年には32%あるが、2020年には29%に下がる。

 はっきり言って、このままでは日本の努力は壮大な無駄になる。「環境問題、パソコン環境の整備と日々の雑感」の「京都議定書の発効とその取組み」がいろんなブログの議論を「とりあえず行動しよう、行動するという気持ちが大事」とまとめている。身近なところから、ささやかでも努力しようとする人たちに「その行動は正当ですよ」と言ってあげるには、今の努力が将来に結実する道筋を示さねばならない。努力を強いる国がするしかないことであり、まず日本が置かれている悲惨で特異な立場を国民に率直に説明すべきだ。