被害大き過ぎ実感できぬ首都直下地震 [ブログ時評12]

 経済損失112兆円、避難者700万人――政府・中央防災会議の「首都直下地震対策専門調査会」がまとめた被害想定の数字は、あまりに大き過ぎる。東京都などが単独でまとめていた想定を、関係都県の全体像で見たらこれほど大変だと分かっても、何から手を付けてよいのか、考えあぐねる規模である。ネット上の反応も実感を伴っていない感じがする。

 例えば、発表された資料「被害想定結果について」の中にある避難者の数だけ最近の大地震と比較してみても、阪神大震災で最大31万人、新潟中部地震で10万人のオーダーだった。いずれも被災後数日は、この人たちにわずかな食事しか届けられず、どれほど苦しんだことか。発生翌日に出る避難者700万人の内、東京の200万人をトップに計460万人が避難所生活を送る想定になっている。都が備蓄している食料はアルファ米119万食、カップ麺100万食とかだそうだ。最大で650万人出ると考えられる、職場や学校からの帰宅困難者も含めて、食事を他人に頼るのは最初は無理だと諦め、何らかの緊急食をいつも自分の身近に置くしかなかろう。

 『ブログで ひとこと 言わせてちょ〜だい』の「●東京に地震が起きたら・・・」は「200万人以上が1ヶ月たっても避難所暮らし!? 地震の直接の被害よりも、その後の被害、いわゆる『震災』がすごいんだね」と指摘している。でも、ちょっと踏み込んで考えてみて欲しい。200万人以上に1カ月以上も食事を供給する――誰が、どうやってするのか。阪神大震災の30万人には、隣の日本第二の都市・大阪などが無傷で支援できた。関東平野の中心部が広範囲に被災して、水やガス、電気などライフラインが復旧しない時点で、200万人以上に周辺都市の支援が届くのか。たった10万人の支援に無傷の県都・新潟が四苦八苦したのを、この間、目にしたばかりではないのか。お忘れだろうか。

 最大で1万3000人という死者数推定に疑問を投げる声もある。「エントロピーは増大し続ける・・・」の「東京の下で3つのプレートが・・・」は「この死者の数ですが・・・、火災旋風の発生は計算に入ってないのじゃないでしょうか」「同時多発的に火災が発生した場合に、火災で発生した大量の熱気が上昇し、冷気と混じり合って炎の竜巻を発生させる現象です」と死者がもっと増えると考えている。阪神大震災の時は幸いにも微風状態であり、さらにラッキーなことに未明で交通量が非常に少なかった。地震時に道路を車が埋めていて、車両火災で延焼が広がるようなら大変である。道路については今回の想定は地震による運転操作のミスで死者が出るところで止まっている。

 新幹線の脱線を想定しながら、死者はその車両だけと考え、追突のことは考えないなどの矛盾はマスコミ報道にも出ていた。細いベルト帯が被災した阪神大震災に比べて、首都直下地震は面として被害が広がるのに犠牲者数が2倍にしかならないというのがそもそもおかしい。経済損失だけは国家予算の1.4倍と巨額なのに、人的被害はあまり刺激的にしたくない政治的配慮もありそうだ。

 「blog.CreCom.Org」の「東京直下地震、被害は最悪112兆円」のように「『完璧な地震の備え』とまではいかないまでも『心構え』と『準備』だけはしておきたいものですね」と市民が反応してくれるのが狙いだろう。しかし、「風信子石」の「結局何が言いたいのかわからない<首都直下地震被害想定>」との声も出ていることを付け加えておこう。。

 このような想定が出るのであれば「近年、都心の分譲マンションが人気で住み替えられる方も多いようですが、その方々は居住地リスクをどの程度まで考慮されての移住だったのでしょうか?」と訴えているのが「田舎暮らしの学校」の「田舎の存在価値とは」である。「暮らし・生活・生命を不測の事態から守るために、生活の拠点を分散させて確保しておく。華僑の方にとってはあたりまえの考え方のようですが、島国に育ち国際交流経験の少ない日本人にはあまり浸透していない考え方でしょう」とリスク分散を暮らしの根本に取り入れるべきだとする。

 首都移転論もいつの間にか忘れられ、便利だというだけで東京集中が進む昨今である。460万人を避難所に収容して日々3度の食事を供給するなど、極度に非現実的であることに気付けば、食料備蓄を増やすなど小手先の対策だけに目を向けて良い訳が無かろう。