反日デモ始末に苦渋の続きを思う [ブログ時評20]

 日本の「対華二十一箇条要求」がきっかけで生まれた排日運動「五四運動」の記念日5月4日も、中国本土では大きな反日デモは起きず、4月16日に上海などであったデモを最後に今回の異常事態は収束したようだ。しかし、中国国内では言論の自由を奪う形すら取られて圧殺されたのであり、日本側では折りしも盛んになっている右翼的な、威勢の良い対中論調をネット上で繰り返し読まされた。短期的にまた再発必至の苦渋の事態だから、落ち着いたときこそ考え始めねばならない。

 検索エンジンGoogleが返す検索結果リストは、リンク数調査を利用したネット上の人気投票ランキングにもなっている。「反日デモ」のキーワードで10日ほど前からウオッチしていると、マスメディアのサイトを除けば、いつも上位にあるブログは「反日デモ」(田口ランディのアメーバ的日常)「内田樹の研究室:反日デモの伝える声」だった。

 田口さんは「反日運動の果てに、民衆のエネルギーが炸裂したとき、人民を粛清するのは日本じゃない。中国政府だ。そうならないために、どうしたらいいんだろう。日本はどういう行動を取れば人命を失わずにすむか」と書いているし、内田さんは「私が聴き取った彼らからの声は『日本人よ、私たちに届く声で語ってはくれまいか?』というメッセージである」と述べている。我々が考える出発点としてふさわしい言葉が、ネット上で支持されているのはうれしい。検索結果リストの上位に日によって、十分に思慮したとは思えぬ、殴り書きの対外強硬論が現れるのは、現在のブログブームの一面だが。

 今回、中国政府がネット上で反日サイトを閉鎖し、携帯電話のメールも含めて検閲する姿勢を公然と打ち出したのには、苦し紛れであれ驚いた。巨費を投じてネット監視システムを建設中とは聞いていた。信書の秘密まで侵すと言い出す国が21世紀の世界でリーダーになる――桁外れのミスマッチだから、中国首脳部は不思議に思わないのだろうか。「ネット検閲がもたらす究極の監視社会」(メディア探究)にネット上の情報源も含めて紹介がある。中国に持ち込んだノートパソコンで実験したとの報告もトラックバックされている。

 中国情報局に「北京の息吹」というコラムがあり、1990年北京理工大卒で自ら親日派と呼ぶ祝斌(しゅく・ひょう)氏が連載している。1月20日付の「対中ODA議論で思うこと、『感謝』は意味あるか?」は3兆円にのぼる対中国の円借款を数年前まで知らなかったと記している。今では「北京の地下鉄に乗る時に『円借款のお陰』」とも思えるようになったが、「北京首都国際空港の玄関の前に『この空港の建設では円借款を使っていた』と書いた看板を掲げたらどういう光景になってしまうかも想像してみた。多分、この看板を見た中国人乗客は、豪華な天井から、戦争によって死んでしまった先人の悲しみ恨む目が見えてくるような感じがするかもしれない」と述べている。その上で「中国人の屈辱感」を長引かせるODAは廃止してよいと考える。

 この人の思考は、円借款の存在すら知らぬ中国人大衆の10年は先に進んでいる。いまインターネット利用者は1億人にもなり、10年待てば変わろうが、再び苦渋の時が訪れるまで、そう待ってくれまい。2008年の北京五輪を成功させたいとの強迫観念が強いこの3年間こそ好機と思う。欧米やアジアの反応を中国政府も無視できなくなっている。政府間だけでなく、民間からもメッセージを送りつづけよう。親日派にして上の思いである。日本が送らなければ変わるものも変わるまい。

 対中国の守勢と違い、日本が攻勢にある問題を「日本の自動車産業は世界を幸せにしない [ブログ時評18]」で書いた。外国の事情が絡んで、どちらもすっきりした解決策など考えにくい。苦渋が取り返しがつかない悲劇に進まぬよう、なるべく多くの人が事態の行き先に気付き、阻むべく模索を始めるしかない。そんな空気を醸していきたい。