特集「高校野球:記者取材活動の一原点」

 地方紙の記者の方が開いているブログ「地方都市日記」に行き当たり、そこで高校野球についてクールに語られている文章を見て、ちょっと昔語りをする気持ちになった。新聞社の舞台裏でも20年前後も前だから、もうどこにも差し障りは無い。私は地方支局から本社に上がる際に科学部に行った記者だが、高校野球取材でこんなことも体験できると知ってもらえる意味はあると思う。

 高校野球の担当者になったのは和歌山だった。戦前の和中・海草、戦後では箕島、そして近年は智弁和歌山と全国制覇のビッグネームが並ぶ。地元UHF局が地方大会の全試合を中継し、前もって特番が組まれる。担当者は地元の監督経験者ら野球専門家に交じって相応のコメントもしなければならない。参加30校ほどのこじんまりした大会だから、準備に県内取材網の協力も得つつ、自分でほとんどの高校に足を運んでみた。決まりきった取材項目をこなしてから何を見てくるか、が担当者の仕事だと思う。練習に見入っている地元の物知りから人間関係などの情報を聞き出したり。することは結構ある。

 創部何年目だったかの智弁和歌山は下馬評にあがっていなかった。しかし、夕暮れが近いグラウンドでのノック練習は印象鮮烈だった。内野を同時に飛び回っているボールの数が、他のチームよりはっきり多い。「ぼーっとしてれば怪我をします」と監督の言うように、なんとも言えない緊張感がその場を貫いていた。昨夏、米国のテレビ局から取材クルーが、イチローたちがたびたび高校野球に言及するのに興味を持って来日し、取材して帰った。彼らが夕暮れの智弁和歌山に行って見たものは、20年前の私と同じだったろう。テレビ特番で「4強を脅かす」と言い出したのは私だけだった。

 それまでの和歌山野球は細かい、通好みだった。箕島と言えばプッシュバント。走者を出せば、ピンポイントに球を転がし守備をかく乱する。甲子園を沸かせた箕島野球に陰りが出ていた年、金属バットに超々ジュラルミンが採用されて一気に事態が動いた。智弁和歌山の打者はミートは上手いが、まだまだ非力だったのに、大会が始まると長打連発、好投手を沈めてしまう。壮烈な打撃の大会は技巧の余地を狭め、技巧派の軟投しか用意できなかった智弁和歌山も後に打ち負けてしまった。

 和歌山市の200キロも南からやってきた新宮は、バットケースには竹刀が入っているに違いないと思える、凛とした剣士集団の印象があった。その投打の高いバランスも、決勝ではサインを南部の監督に見破られて屈する。その南部も含めて、地元の子どもたちをこんな高いレベルまで育てる大人との交流物語を、この年、私は連載で手がけた。

 大リーガーの強打者は時速150キロでバットを振り、150キロの速球を打ち返す。相対速度300キロ、地上最速のスポーツ現象である。高校生はその8割くらいしかない。しかし、バットの重さを10%減らせばスイング速度は10%上がることが知られている。強い金属材料がそれを実現してしまった。翌年はさらにバットの太さを大きくして、テニスのデカラケのような効果も生んだ。地方大会の本塁打が倍増する異変を目の当たりにして、その夏、科学部に異動した最初の大きな仕事が「飛びすぎ金属バット」のメカニズム解明になった。

 大学の先生に理論付けとシミュレーションをお願いし、工業試験場での物性測定や高校での打撃実験は私が担当して、冬場で紙面が空いていたスポーツ面に大きなトップ記事を出した。スポーツ部員以外がトップを書くのは異例中の異例だろう。ただし、薄肉大口径バットがボールと衝突時に大変形して飛びすぎになるメカニズムを、本当に規制に生かすには十数年待たねばならかった。それまではバットの中に消音材を入れるなど姑息な「対策」がまかり通った。本当の答は随分前に出してあるよと、次々に異分野の仕事をしていた私は苦笑いしながら見ていた。

 【参考】第92回「新・日本人大リーガーへの科学的頌歌」