双方向交流へ本格的な取り組み開始 [ブログ時評41]

 マスメディアと受け手の市民の間で望まれていた双方向交流に、ブログで本格的に取り組む新聞社が出てきた。既に神奈川新聞の「カナロコ」があるではないか――と言われそうだが、残念ながらカナロコはネットで評判になったほどには成果を挙げていない。素人記者のブログには反応があったが、新聞本体のニュースへのコメントはほとんどなく、メディアと市民の交流になっていない。新たに取り組んでいるのが毎日新聞の「まいまいクラブ」と中国新聞の「ふれあい」である。スタートは中国新聞の方が少し早い。どちらも読むのは自由だがコメントを書き込むには、住所や氏名など登録が必要になっている。トラックバックは受け付けない。

 中国新聞のブログは3タイプで出来ている。討論の広場「わいわい討論」は当初「広島東洋カープの再建策」をテーマに話し合い、そこで上がった声を5回にわたって新聞紙面に特集するところまで進めている。次のテーマは女児殺害事件を受けて「子ども、まちの安全」とサッカーの「今季のサンフレどうだった?」になった。編集委員と記者2人の計3人が担当、「ふれあい@編集部のブログ」など随所で読者と対話が成立している。「中国新聞のブログ『ふれあい』」(D4DRナレッジオピニオン)が「いままで紹介してきた時事通信社、フジサンケイビジネスはどちらかというと記者という『専門家』のブログ(つまり、読み物ということです)に重みがあったのですが、『対話』という試みも同時に新聞社で進んでいくのでしょう」と紹介している。

 毎日新聞には紙面の売り物であるコラム「記者の目」を生かした「記者の目・読者の目」や、時事トピックスにテーマを取る「ニュースに一言」などのコーナーがある。「耐震データ偽造問題 どう見ますか?」が話題性があって最もにぎやかだ。ホスト役が女性記者一人で、あまりレスポンスを返していないが、読者側の参加者が増えてきたので、読者同士の対話が成り立ってきた。「投稿に購入者の責任を問うものがありますが、それは酷であるし、少なくとも日本ではほぼ確立されている筈の信頼関係が完全に瓦解することになると思います。物を購入する度に、その信頼性を一々確認している人がどれだけいるでしょうか。例えば、車、テレビ、冷蔵庫、自転車。どれだけ安全性、信頼性を検討、確認するでしょうか」(火の車)などである。記者側が少しでよいから司会役に割って入れば、立派な討論に発展するのに、もったいない。

 「はじめの一歩を踏み出すということに、どれだけのエネルギーが必要かはよくわかるので、感嘆と賞賛の念を禁じえない」と理解しつつも、批判的な意見がある。「まいまいクラブ」でのコメント投稿システムに問題ありと「毎日新聞が双方向性の実験を開始した模様」(坂本の雑感・ひとりごと)が指摘している。「コメントが承認制になっている。っていうかこれ検閲じゃん。と思ってしまう」。「承認はどのようなプロセスで行われているか?承認する判断の基準は何か?」などを明示していないことを批判している。登録した上でコメントを投げて、さらに不透明な承認を待つのではブロガー一般の感覚と合わない。全国紙で初の試みにして、今ひとつ盛り上がっていない理由はここにあるのだろう。

 こうした双方向の試みが進んでいた11月に、マスコミのありようを考えさせる、思わぬ事件があった。読売ウイークリー編集部のブログで1989年の宮崎勤・幼女連続殺人事件で宮崎被告の部屋へ最初に入った読売新聞記者が「新証言」をした。6000点ともいう「おそらく、あの部屋の映像を覚えておられる方は、あのビデオはみんな、アダルトとか盗撮とかロリータとかそんな類のものだと思っているのではないでしょうか。実は違うのです」とし、ビデオも雑誌もほとんどが普通のものだったとした。「その中に『若奥様の生下着』という漫画が1冊ありました。ある民放のカメラクルーがそれを抜き取って、一番上に重ねて撮影したのです。それで、あの雑誌の山が全部、さらにビデオもほとんどがそういう類のものだという、誤ったイメージが流れてしまったのです」。さらに「犯した犯罪からすれば、そのくらいは誤解されても仕方がないかもしれません」とコメントしたのである。

 当然のことながら読んだブロガーから反発を呼び、結局、このブログ記事は削除され、トラックバックの受付も停止になった。上の引用も、Googleの一時記録から復活したものを「事件報道のリソースに『恣意的な映像』を加えていたマスコミ、それを黙認するマスコミ」が掲示しており、そこから採った。しかし、こんな良い、生きた教材は無い。当時、何があったか、どうしてそんな「やらせ」を見過ごしたのか、読者と一緒に検証すれば恣意的な報道を防ぐための貴重な指針が得られる。読売ウイークリー編集部は何のためにブログを開設して、話題を提供したのか。逃げている時ではないだろう。ここでこそ本当の「双方向」が欲しかった。