5000万件問題で年金の丼勘定ぶりに唖然 [ブログ時評80]

 「宙に浮いた年金記録5000万件」問題でブログが騒然としている。5月末からキーワード「年金」を含むブログ記事が連日3000件前後も書かれている。
★過去90日間に書かれた、年金を含む日本語のブログ記事
テクノラティ グラフ : 年金

 テクノラティ・ジャパンのブログ記事頻度グラフで最近の政治的事件と比べよう。例えば「ホワイトカラー・エグゼンプション」制度導入を阻んだ「残業代ゼロ」騒ぎ(第154回「世論の形成をブログの頻度から観察」)が12月の始まりから法案提出断念による収束までで5000件に満たなかったことを考えると、エネルギーの大きさが判る。ちなみに松岡農水相自殺の当日は1万件を超えるブログ記事が書かれたが、これは直ぐに収まった。

 社会保険庁や厚生労働省への不信感は募る一方である。「年金財政破綻の前に、年金記録が破綻」(夢主義社会)は「『年金の一本化』とか『社会保険庁改革』という話もありましたが、年金のための巨額の保険料の管理を、国の判断に任せておくのは大変不安です。こんな年金制度は、改革よりも、全て無くした方が良いと思います」と言い切る。「年金制度を廃止して、生活保護に統一すべきだと思います。現状では、国民年金よりも、生活保護の方が、多く支給されるそうです。老後に裕福な生活をしたい人は、自分でお金を積み立てておけば良いのです。老後にお金が無くなった人は、生活保護を受ければ良いのです。生活保護のための財源は、年金のための保険料納付を止めて、その分、所得税に上乗せすれば良いと思います」

 もう少し穏当な意見でも「社会保険庁は解体・完全民営化を」(利究 ”元銀行員のひとり言”)は「年金という国民の預り資金(公金)を扱うには余りのぞんざいさに呆れるばかりだ。長官を先頭に街頭でお詫びをしたらしいが、謝って済む問題ではない。社会保険庁の役職員に当時者能力がないということだ、今回発覚していることも内部的には当然周知されていたものが、『臭いものには蓋をしろ』的発想つまり組織防衛のため、ここまで遅れたのだろう。時間の経過と共に調査を難しくし、もう既になくなった人たちもいるだろう。生きていてこその年金ではないのか?」と怒る。

 実際には社会保険庁に危機感は無かったようだ。2億件あった年金記録を集約する過程で帰属不明になった5000万件だが、年金は「請求主義」であり、58歳の時点で受給者と記録をすり合わせるので、もし欠落した部分があれば調査して補えばよい――そういう前提に立っていた。

 それなのに60歳を過ぎていそうな「宙に浮いた年金記録」だけで2800万件にもなってしまった。この点について自民党の河野太郎衆院議員が「消えていない5000万件」でこう説く。「可能性として対象者が年金受給開始前に亡くなって、年金手帳による統合をおこなっていないもの、対象者が年金の受給資格がないため、年金の裁定がおこなわれていない(そのために年金手帳による統合がおこなわれていない)ものが大部分だろうと推定される」「しかし、この中には無くしてしまった年金手帳に載っていた年金番号があるだろうし、氏名、生年月日などが違っていて統合できなかったものもあるはずだ。だから、今回、2800万件の統合されていない年金番号の氏名と生年月日、性別を今、年金を受給している3000万人の氏名と生年月日、性別と照らし合わせて、ひょっとして漏れている可能性がありそうな人に、通知を出すことになったのだ」「だから5000万件は、消えたわけではなくて、2200万件は今後、その年金番号が載った年金手帳を持った人が年金をもらう年齢に達するごとに基礎年金番号に統合されていく」

 当然ながら、そのコメント欄でも批判が多い。国民の多くは自分が納めた年金保険料が年金財政の大枠中に投げ込まれ、個々人の記録として尊重されていないことに驚き、呆れ、憤慨していると思う。「統合されていく」時に記録がなければ何十年も前の領収書を求められる。これはたまらない。金額の多少はあるにせよ、国が国民から預かったお金ではないか。

 年金財政は百数十兆円の積立金を持っている。巨額だが、積み立てられた以上はこれに数倍する年金の支払い義務が国に課されるはずだ。年金問題に関心を持って久しいが、積立金と年金債務の関係をすっきり示す資料を見たことがなく、以前から不思議に思ってきた。今回の5000万件騒動で理由が判明した。国は自らの支払い義務の大きさを知ろうともしなかったのだ。納付記録が誰のものか調べが付いて可能になるのに、受給開始が確定するまで放置するのだから常時、大量の帰属不明記録があって全体の収支計算など不可能だった。

 「年金特別会計の問題点」(新潟青陵大学紀要第5号/2005年)で吉田堯躬氏が「特別会計の財務諸表は依然として年金の債務性を示すことなく、積立金があるという数字が示されている」「年金の給付現価が債務である以上、厚生年金及び国民年金特別会計の財務諸表との整合性が必要になる。けだし、国民の代表に提出する予算の財務諸表が債務性を認めている給付現価について触れずに従来方式だとすれば、形式的な財政民主主義自体の崩壊である」と強く指弾している。

 国民から請求があれば支払えばよい。自分が持っている財布にあるお金は見えていても、国民に将来出すと約束した年金債務の大きさを計算はする気はない――こういう国だから今回、1000億円程度の追加支出があったとしても、誤差の内だとお考えのようだ。どれくらい凄まじい丼勘定になっているか、実例をお見せしよう。

 「年金特別会計の問題点」は前々回平成6年の年金再計算で設定した積立金の運用益が大きく下回り、その後の5年間で8兆8千億円も少なかった問題を指摘している。「不足分は年金運用見込み違い損失として損益計算書で損金としてあきらかにするとともに、貸借対照表上、見合いの留保を行い、年金についての運用責任の明確化を図る等の工夫をするべきであろう。なぜなら、現在のシステムでは再計算のデータ−それは保険料や将来給付の設計に重要な要素である−として示されているにもかかわらず、それと無関係に資金の運用が予算編成作業に埋没してしまっている」

 年金再計算は5年ごとに年金財政の方向を決める重要なイベントだ。当然のこととして私は現実の年金財政収支の上に立っていると思ってきたのだが、今回の騒ぎで国が収支実態を把握していないことが判明した。あの計算は人口動態統計などの指標からはじき出した絵空事だった。そして、そんな絵空事だから巨額積立金運用益の実績が8兆8千億円少なくても意に介しない。