お産の危機は首都圏にこそ迫っている [ブログ時評83]

 奈良県の町立病院で出産途中に意識不明に陥った妊婦の搬送を19病院が受け入れず6時間後に大阪・吹田の国立循環器病センターで手術を受け死亡した事故から1年余り、また奈良で救急車を呼んだ妊婦(38)が9病院から搬送を断られて車内で死産した。奈良県ではこの1年間、何ら有効な対策を進められなかった事実が明らかになるとともに、北海道、宮城、新潟、千葉、神奈川などでも同様の搬送拒否が相次いでいることが報じられるようになった。東京を中心にした東日本のマスメディアがようやく他人事でないと気付き始めた。それなら申し上げなければならない。お産の危機が迫っているのは離島でも過疎地でもなく、首都圏なのだと。

 お産現場の実状は「神奈川県の現状」(レジデント初期研修用資料)にある通りなのだ。「このあいだ遊びに来た下級生の話」「奈良県の産科事例、例の19病院が救急搬入を断った話は、現場では誰も驚かなかった。神奈川では、20病院以上に声をかけても搬入先がみつからないのは日常茶飯事だから」

 人口に対する医師数が西高東低であることが広く知られている。産科医はどうか。日本産科婦人科学会が実際に産科を扱っている医師数を「分娩取り扱い施設数及び常勤医師数のデータ」で調べているので、それに産科医1人当たりの人口も加えて関東と近畿を比べよう。  東京と大阪に多少はゆとりがあり、地区全体の緩衝材になっている。北関東の栃木、北近畿の京都も同様に余裕がありそうで、それぞれ北部のお産需要を吸収しているのだろう。問題はどちらも南部にある。近畿で奈良が厳しい状況にあると知って関東を見れば、千葉や茨城では産科医1人当たりの人口が2万人に迫り、奈良を超えている。それどころか3万人を超えている埼玉がある。埼玉の産科医が優秀で全国平均の2倍の出産をこなしているということはあり得ないので、何割かの妊婦が埼玉県外で出産しているはずだ。既に満足に地元で産めない県が出現しているのだ。

 搬送拒否続出が常態という神奈川。救急搬送が必要な妊婦のを受け入れてくれる病院を探すのに、医師に代わって県救急医療中央情報センターの職員が24時間態勢で取り組むことになったと報じられた。「産科の電話代行業 でも責任は?『神奈川県が妊婦搬送先探し代行、産科医の負担軽減へ』」(勤務医 開業つれづれ日記)は「同センターでは、職員11人が3人ずつ交代で、24時間態勢でこの作業を代行」「24時間体制を作るには、これが正しい労働基準。しかし、これほどの産科医がいる病院はほとんど無いのではないでしょうか」と医師側の勤務実態を無視したシステム作りに嘆息する。そして、4月からの試験実施で8つある基幹病院から「152件の依頼を受け、88件で受け入れ先を確保」と報じられていることに、コメント欄は「確保されなかった時点でマスコミ用語の『7件のたらい回し』が発生している事になります。それが5ヶ月で64件。神奈川の産科事情の厳しさがよくわかります」と反応する。人口が大きい神奈川から県外に救急搬送される妊婦の数は奈良の比ではないらしい。

 9月、日本産科婦人科学会と日本産婦人科医会は舛添厚生労働相に「産科救急医療対策の整備」と「産婦人科医師不足問題への対策」についての「陳情書」を手渡した。「政府・与党の緊急医師確保対策」に対する「意見書」も提出しており、産科医側の意見が行政のトップに伝えられた。「産科医が減っているのは、お産需要の減少を反映しているにすぎない」と国会答弁した前の厚生労働大臣にも7月に陳情書を出したが、8月末に政府与党から公表された緊急対策案には不満が大きかった。

 意見書は政府与党の対策に手厳しい。例えば目玉になっている医師不足地域に緊急に医師を派遣するシステムになら「地方病院においては既に、相当な好条件を提示しても全く希望者がいない、という現状で、どのように派遣する医師のプールを作るのか」と問う。医師不足に対する「緊急臨時的な増加策が、その地域・診療科にとって継続的な効果をもつためには、緊急対策をとっている間に抜本的な解決策が同時にすすめられなければならないことは明らかである。今回の対策にはその点での検討が十分に含まれているとは言い難い」

 しかし、今回出した陳情書の中身が実現したとしても、直面しているお産の危機を打開できるのだろうか。奈良の死産妊婦(38)は妊娠7ヶ月なのに産科を受診していなかった。陳情書は「新たに策定される必要がある総合的な対策においては、未受診妊婦を含む産婦人科一次救急症例への対応が、各地域において明確に規定される必要がある」と述べるが、産科医が首都圏でさえ絶対的に足りない、産科施設が次々に閉鎖される中で何が出来るのか。

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