連日のノーベル賞、違う研究者人生 [BM時評]

 物理学賞の3人に続いて、今度はノーベル化学賞に米ウッズホール海洋生物学研究所・元上席研究員の下村脩さん(80)です。オワンクラゲから発光物質、緑色蛍光たんぱく質(GFP)を取りだし、細胞が生きたままの状態で、その中でタンパク質を観察する手段になり、世界中の研究者が広く恩恵にあずかっている仕事になりました。

 下村さんはアカデミックな世界では、特に日本的な意味では恵まれない生き方をされて来たようです。受賞歴で2007年の朝日賞が特に光るというのも、これまでのノーベル賞受賞者が分厚い受賞歴を持っているのと違います。朝日新聞の電話インタビュー「『化学賞は意外』『クラゲ85万匹採取』下村さん語る」が少しその実像を明かしてくれます。「米国に居続けたのは?」の質問に「昔は研究費が米国の方が段違いによかった。日本は貧乏で、サラリーだってこちらの8分の1。それに、日本にいると雑音が多くて研究に専念できない。一度、助教授として名古屋大に帰ったんだけど、納得できる研究ができなかったので米国に戻った」と語っています。長崎医科大付属薬学専門部(現・長崎大薬学部)卒業の下村さんには、アカデミックな世界でのし上がる気はなかったのでしょう。

 今年のノーベル賞報道をネット上に限れば、MSNと組んでいる産経新聞が早い時間からかなり多数の記事をリリースして目立ちます。紙の紙面では各紙ともに1面から社会面まで大量の記事を出していて、それほど秀逸とは思えませんが。化学賞でも21時過ぎに【ノーベル化学賞】「自分はアマチュア・サイエンティスト」下村脩氏をリリースしていて特筆ものでしょう。

 「上の人の話を素直に聞くような人間じゃない。そうかといって、人と争う気もないし、競争は嫌い」「自分はアマチュア・サイエンティスト。それがかえって良かったのかも」――なかなか良い言葉を拾っています。1年前に下村さんに講演で来て貰った母校の教授のコメント「心の底から感激している。こんな地方の大学を出たノーベル賞受賞者は初めてではないか。ここで学ぶ生徒たちにも励みになる」もいいですね。

 物理学賞の3人とはまるで違う研究者人生が見えて、今年はこれも収穫の一つでしょう。