新聞社説書き論説委員の世間知らず [BM時評]

 東京で起きた脳内出血の妊婦死亡を、各紙が社説で取り上げました。おしなべて出来が良くなく、「毎日新聞社説10/23〜医療機関の悲鳴は聞こえてますか?」(ツルのはきだめ)が「各紙とも社説では『信頼を取り戻せ』だの『態勢づくりに努力せよ』などと述べておりますが、果たしてこれらの弁は、医療機関の現状を真に鑑みてのものなのかが疑問です」「今の医療の現場からは、各紙が主張するような事を実行する余裕など、とうの昔に失われてしまっているのではないでしょうか」と評しているのが正解です。

 一般紙3紙の中でみると読売「妊婦搬送拒否 一刻も早い医療改革が必要だ」が比較的まし、次いで毎日「妊婦受け入れ拒否 事実究明し安心の体制作れ」、最悪が朝日「妊婦死亡―救急医療にもっと連携を」になると思います。医師不足による医療崩壊については、安易な解決策が存在する段階を通り過ぎているので、記事を書く際に慎重でなければならない――という意識が編集局の取材現場には浸透しています。「もっと連携を」なんて書く記者はいなくなっています。

 論説委員は編集局に属さない、別格組織にいますから、取材現場に浸透した「常識」から遠いのです。ならば自分で取材して書けば良さそうなものですが、自分たちが一番知っているという思いこみからか、なかなか取材に走る気にならないようです。今回の件でもこちらあたりで、大いに呆れられています。

 私の持論として、新聞記事である以上は新しい事が何か書かれていなければならないと思います。新聞各紙の社説には、ほとんどそれがありません。とすれば、社説なんて無用です。新聞メディアの経営は今後、厳しくなる一方ですから、真っ先に廃止すべきが論説セクションでしょう。無くても困らないし、現実には世間を迷わす害の方が大きいのですが、この構図が見えている新聞経営者がいらっしゃらないようです。論説委員にはネットで調べるのも不得手の方がいるので、先日つくった「Japan Blogs Net」を社内一部に紹介しておきましたが……。