第178回「GM破綻、連邦破産法11条でも再生険しく」

 昨年から言われてきた、この間まで世界最大だった米自動車メーカーGMの破綻が確実になりました。明日6月1日、連邦破産法11条(日本の民事再生法相当)の適用を申請するしか、道は残されていません。しかし、再生後の姿は7割の株式を政府が握る「国営自動車メーカー」です。資本主義の総本山、米国にしてありえない、絶句してしまう姿です。しかもGM再生が容易でないことは誰の目にも明らかです。好業績が見込める部分だけを切り取って再生させるのが「常識」でしょうが、それを突き詰めて生まれる会社は日本の中堅メーカークラスになり、米政府が掲げる大不況下での雇用確保政策としては落第でしょう。

 米国現地からの報告として、JMMメルマガ・冷泉彰彦氏の「GM破産の先にあるもの」(ウェブへの掲載は数日後に)があります。

 「現在進行している動きの第一は、ものすごい価格破壊です。昨年の秋以降、各ディーラーでは1000ドル、2000ドル(十万円から二十万円)の値引きは当たり前といった光景が繰り広げられてきました。ですが、今回のクライスラーとGMによる販売網の大リストラによって、両社の車種を扱うことができなくなるディーラーは完全に在庫処分モードに入っています。中には、5000ドル(五十万円)の値引きであるとか、定価30000ドル(三百万弱)のSUVを月間リース料199ドルで提供といったものまで出ています」

 冷泉氏は混乱の中で韓国・現代自動車がシェアを伸ばす、意外な動きを紹介した上でこうも述べています。「これから先は自動車産業にとっては大きな岐路に差し掛かるのだと思います。クライスラーとGMの危機がとりあえずの解決を見て、信用収縮が収まり景気が上向けば、最悪期は脱することはできるでしょう。ですが、このまま無策のままでいると、自動車という20世紀後半に花開いた消費文化が『コモディティ化』してしまう危険があるように思います。かつて、日本経済の柱の一つであったオーディオ産業が、CDの登場によるデジタル化が付加価値の向上ではなく、逆に『廉価なシステムコンポ』に走って産業自体が自壊するという結果を招いたこと、更にはMP3プレーヤの登場によってハードウェアそのものがコンピュータや携帯電話に吸収されて行こうとしている、そんな『二段ステップの産業消滅劇』が思い出されます」

 取り敢えず、売れ筋の小型車に特化すれば良い――GMはその技術力すら疑われますが――のではないところに今の自動車産業の難しさがあります。「市民のための環境学ガイド」は「GMは何をやらないから破綻したのか」で、ある意味では極論に走っています。「GMが破綻することになった技術的な背景を一言で表現すると、ハイブリッド技術を日本の田舎から来たニッチな技術として、簡単にブッ飛ばせると思ったことである。ブッ飛ばす道具として燃料電池車を持ち上げたが、その技術はまだまだ未完成だったし、さらに言えば、水素という気体燃料は、タンクにいれて車に乗せようとしたら、性根が腐っていて、言うことを聞かない奴だということが分かった」「GMはエネルギー供給の動向を無視し、そして、ハイブリッド技術を無視したツケで、この世界から消え去るのだ」。ハイブリッド技術に全てを語らせるのは行き過ぎと思えますが、対抗する明日の技術を持てなかったのは間違いありません。

 ニューヨークタイムズがネット上の評論「Can New G.M. Pay for the Old G.M.? 」を取り上げています。再生計画についての大胆な評論ですが、既成メディアがここまで書くのは憚られるのでしょう。ハマーなどの大型車部門を切り離し、オペルなど欧州市場も分離した新生ミニGMが借金返済と再生投資資金として、少なくとも950億ドルを稼ぎ出さねばならないと観測します。5年で分割して毎年190億ドルです。これはトヨタ自動車が記録した最良の年の利益に相当します。ミニGMには高すぎるハードルです。

 電気自動車ならGMにもチャンスがあると論じる方もいらっしゃいますが、パワーが限られる電気自動車こそ小型車技術が大前提になっていますから却下するしかありません。破産法による短期的でもあり得ない再生計画だし、中長期的にも明日を託せる技術が無い――政府資金を大量に注ぎ込んで生き長らえさせる価値があったのか、オバマ大統領再選を左右しかねない大問題になりそうです。