人の会食は当たり前ではなく、霊長類中で特異 [BM時評]

 今日、大阪本社版の朝刊3面に「理由なき殺人なぜ増加〜個食化、共感力失った現代」とのタイトルで山極寿一京大教授(人類進化論)の大型インタビューを載せました。東日本の方は見られませんし、折角なので私なりにかみ砕いた要旨を紹介しておきます。秋葉原や土浦での連続殺傷事件は、人間らしい共感を育て損なった結果ではないかと考えられるのです。

 家族で向かい合って食事をすることは当たり前すぎて、われわれには特別な行為との意識はありません。しかし、霊長類の研究者からみると極めて特異なことなのです。身近な例ではニホンザルは決して見つめ合いません。下位のサルが上位のサルを注視すると反発になるので、餌場に上位のサルが来ると下位のサルは目を合わせずに譲ります。DNAが人間に近いゴリラやチンパンジーでは小さい方が見つめたり、ねだったりすることがあります。それでも食事は個食が基本です。

 人間だけが一人で食べきれない食材を集めてきて、請われもしないのに分け与え、一緒に食べようとします。サルの目には白目の部分がありませんが、人間にはあり、瞳の動きから何に関心があるのか心の動きが読み取れます。サルの世界では競合やトラブルの原因になる「食事」を、人間はコミュニケーションの手段に変え、何も知らない子どもに人間らしい共感を育む場にしました。命をつなぐ食に、隠れた本来機能があったのでした。

 秋葉原の犯人はネット掲示板にしか身の置きどころが無く、それさえ壊して犯行に及び、土浦の犯人は食事も家族と別々でした。相手は誰でもいい――不条理な殺人の背景には共感の欠如した社会があり、生活が便利になった代わりに、サルに似て目も合わせずに食べる食事風景がその根底にあるという訳です。最近ではせっかく会食しているのに携帯電話を見ながら食べている人をよく見かけるようになりました。

 【参考】「秋葉原事件で思い起こす『隔離が生む暴力』 [BM時評] 」