第221回「信頼が無い最高検が特捜幹部を逮捕しても」

 大阪地検特捜部の証拠改ざん事件は、当時の特捜部長らの逮捕にまで発展しました。事情を知らないでいれば最高検が身内の犯罪に厳しく襟を正しているように見えるのですが、第218回「無罪判決、検察特捜部の劣化にどう責任とる」で指摘したように、村木厚子・元局長の事件で強制捜査と起訴を容認したのは最終的に最高検なのです。国家権力を執行する当事者が、部下が全部を報告しなかったから犯罪だと騒ぎ、一方で逮捕の特捜幹部は最高検の見立ては間違っていると全面的に争う姿勢だといいます。マスメディアの報道も従来の検察報道パターンと変わっておらず、冤罪の可能性を担保する姿勢が希薄です。全体の構図がとても歪んでいて、奇妙だと思います。

 「Japan Blogs Net」で拾っても、多数の方がこの問題を取り上げていらっしゃいます。

 「大石英司の代替空港」の「検察を裁くのは誰?」は「日本の検察に於いて、このような組織的な犯行が成されることを、日本の司法制度は全く想定していない。言ってみれば、現代に於ける特高組織ですよね。彼らを監視して裁く仕組みが無い。検察が組織的な犯行に及んだ場合、やっぱりそれを裁くのは検察なのか? 泥棒に荒縄をなわせるのはやっちゃ行けないことです」「アメリカでは、ご存じのように自治体検察のトップは選挙で選ばれます。そういう仕組みをそろそろ検討すべき時期も知れないですね」と踏み込んでいます。

 「■法、刑事裁判、言語を考える」の「■特捜検事証拠かいざん事件ー特捜幹部逮捕」は「危機管理のできない正義の味方。内に敵がいた途端に、全面崩壊に近い」と指弾し、「(1)『特捜解体』をさっさと宣言すること」から「(5)上村裁判での公訴取消ー刑罰権行使不適格の宣言」まで厳しい5項目を掲げ、「こんなことを迅速に果敢に行わない限り、特捜捜査など国民が信頼しない。さらに、検察捜査も社会が拒絶する」とまで主張しています。

 「中山研一の刑法学ブログ」の「元特捜部検事の談話」は検察OBに今なお「特捜検察の原点に帰れ」といった時代の読み違えがあるとしてき、「ここまで来てしまえば、取調べの適正化のために、『全面可視化(録音・録画)』は避けられないのでないか、という意見も出ていることが注目されます」と述べています。

 「ビジネス法務の部屋」の「(元)京都地検次席検事逮捕への雑感・・・・・」は内部で告発した女性検事について「内部告発代理人や内部通報窓口業務の経験からすると、やはり女性の力はすごいなぁと改めて感じます。組織を動かすのは、やはり今回も」「もし調査をしないのであれば、私は検事をやめます」と発言した女性検事であり「組織の空気を変えることができるのは、やはり女性の力だと改めて認識したような次第であります」と感想を書いています。

 最高検がしている捜査は形だけ整っているようで、この事態に対して、国民が本当に望んでいる対処ではないと考えます。今回の捜査だけについても、弁護士や法律学者による第三者組織を早急に立ち上げて委任すべきでしょう。