第346回「『がん村』放置は必然、圧殺する中国の環境司法」

 中国政府の環境保護部が『がん村(癌症村)』の大量存在を公式に認めました。建前は日本と同じ公害無過失責任追及の国なのに、どうして放置されたままか――環境司法が裁判の場まで持ち込ませず封じ込めています。日本の科学研究費で中国人研究者が実施した研究「中国環境司法の現状に関する考察〜裁判文書を中心に〜」が2006年全国環境統計公報から推定した、環境公害紛争に対する行政と司法の圧殺ぶりは凄まじ過ぎます。環境紛争数61万6122件に対して行政手続受付済の事案数9万1616件で、司法手続受付済の事案数は何と「2418件」にすぎません。255分の1です。

 公害事件の企業などに無過失賠償責任を負わせる法改正は、日本では1972年に成立しました。通常の考え方「過失があるから責任が生じる」を公害に適用すると、被告企業に比べて企業内情報の入手でも裁判費用の面でも非常に弱い立場の原告が、企業側の過失を立証しなければなりません。長い公害との戦いで獲得した国内の共通認識を、法改正の前年1971年の新潟水俣病地裁判決がこう述べています。

 「化学企業が製造工程から生ずる排水を一般の河川等に放出して処理しようとする場合においては、最高の分析検知の技術を用い、排水中の有害物質の有無、その性質、程度等を調査し、これが結果に基づいて、いやしくもこれがため、生物、人体に危害を加えることのないよう万全の措置をとるべきである」「最高技術の設備をもってしてもなお人の生命、身体に危害が及ぶおそれがあるような場合には、企業の操業短縮はもちろん操業停止までが要請されることもあると解する」

 住民による血のにじむ戦いで得られた日本の法律での公害無過失責任と違って、改革開放前の中国は1980年代の水汚染防止法や大気汚染防止法で既に無過失責任を定めていました。先進国の惨状を知っていた上に、社会主義国家として成り立ちから当然といえば当然なのでしょう。しかし、理念だけの法律では生身の人間を動かせません。

 「中国環境司法の現状に関する考察」は全国規模で収集した「裁判文書に反映された法律の適用状況からすると人民法院によって受理される環境事件は水質汚染や騒音問題、近隣関係等の幾つかの種類しか確認できなかった。この傾向は、大量の環境紛争事件が未だに司法の領域に受け入れられていないことを意味し、環境司法への道のりはなお様々な凶難が待ち受けていることを意味する」と指摘、こう指弾します。「人民法院と裁判官の環境司法への保護意識が欠如し、環境保護理念が裁判官の『内心の確信』要素として定着していないため、審理水準や審理能力面において環境紛争解決に必要な対応能力が不十分であり、場合によっては環境資源事件に対する事実認定や審理手続きの運営、法律の適用等の方面においてそれぞれ異なる方向性を示す結果、当事者の裁判への不服結果を招いてしまうことになる」

 さらに1992年、最高裁が無過失責任を補強するようで、実は骨抜きにしてしまう解釈の変更をしました。「中国民事訴訟における『挙証責任』」はこう説明します。《最高人民法院の民事証拠規定は、裁判官の裁量による「挙証責任」分配の規定を設けた。すなわち同規定 7 条は「法規に具体的規定がなく、本規定及びその他の司法解釈により『挙証責任』の負担を確定するすべのない場合には、人民法院は、公平の原則及び誠実信用の原則にもとづき、当事者の挙証能力等の要素を総合して挙証責任の負担を確定することができる」と規定した》

 改革開放による経済発展が始まった時期に、「裁判官の裁量で工場操業停止にも結びつく挙証責任を被告企業に負わせなさい」と言われて、腹が据わった人物がそうそう居るはずがありません。《中国の新「不法行為法」と環境責任》は《因果関係の立証に関しては,2009年不法行為法66条の因果関係に関する証明責任の転換ルールをどのように理解するべきかにつき,理論的検討が急がれる。本論で述べたとおり,同条のルールに関しては,被告側に全面的に証明責任を負担させるべきではなく,まずは原告側に一定の負担――「初歩的な証明」――を課すべきだというのが,学説の大方の見方である》としていて、最高裁変更が経済急成長期での原告立証負担増=被害切り捨てに結びついています。  第345回「中国で暴露、ぼろぼろの環境行政と水資源管理」で100カ所以上とした『がん村』はさらに200カ所以上とも報道されています。セントラル・ミズーリ大学のリー・リウ(Lee Liu)氏の2010年論文「Made in China: Cancer Villages」にある詳しい地図を引用しました。行政区ごとにいくつの『がん村』があるか、色分けされています。非公式報告を含めると全中国で459カ所、河北省から湖南省までの東側ベルト地帯だけで396カ所と東部に多いものの広く存在します。水俣など日本4大公害病裁判の現地がこんなにあると考えたらよいのでしょう。

 福島原発事故の半年後、サーチナが《中国各地に“癌の村”…「日本の核汚染よりひどい」=重金属問題》を伝えています。《中国では、難病の多発地域が「癌の村」、「死亡村」などと呼ばれている。ほとんどの場合、土壌や地下水の汚染が原因と考えられている。現地当局は実態をよく把握していないので、たとえ発表したとしても「漠然(ばくぜん)とした表現にとどまっている」という。住民も慣れてしまった。「対策を何度も求めても、結局は何の反応もない」からという》

 イタイイタイ病症状が広く見られる《遼寧省葫蘆島市に住む劉鳳霞さんは今年2月2日、夫を亡くした。46歳だった。劉さんは「日本で(原発事故による)核汚染が発生したとのニュースを聞いた時、だれも恐ろしいとは思わなかった。ここの汚染は、日本よりよほどひどい」と述べた》

 『がん村』の住民が浮かばれない中国環境司法の惨状が改まるには法律関係者の内面にも至る改善が必要でしょう。「人治・談合」を止めさせ法治国家の建前に立ち戻るだけでは駄目なのです。住民の訴え・運動をマスメディアやネットの市民が支援してまず裁判に持ち込ませる、さらに環境裁判の在り方まで変えて行かねばならない、気が遠くなる道のりです。中国環境保護部(省に相当)が公式文書で存在を認めた以上は放置は出来ないはずであり、無過失賠償責任を徹底するしかありません。今回の大気汚染・重篤スモッグが関係者の目を開かせてくれればと希望します。

 【参照】「インターネットで読み解く!」
     『中国は終わった』とメディアはなぜ言わない
     日本への中国重篤スモッグ流入ぶり連続アニメ
     第343回「中国大気汚染の絶望的な排出源構成と規制遅れ」