第399回「権力側が設けた『土俵』を疑わぬ報道は公害に」

 特定秘密保護法を巡って主要メディアが久しぶりに政府批判に足並みをそろえました。しかし、日常報道では用意された土俵の上で、例えば東電負担軽減策や国立大改革案が重大な欠陥があるのに無批判に報じられました。福島原発事故で1〜3号炉の炉心溶融が2カ月間も政府・東電から明確にされず、ピント外れの報道を余儀なくされた反省は消え去ったかのようです。東電問題で言えば、問題視する論調は税金の投入が東電救済になるとの薄っぺらいものしかありません。東電が負担に耐えられないのは周知の事実ながら、それを政府が助ける構図がマヤカシなのです。原発事故の責任の半分は安全審査をした政府にあります。今回の軽減策で政府は自らの責任を表沙汰にしないで東電責任論のまま逃げ切ります。原発の再推進に向け、第334回「原発事故責任者の1人と自覚が無い安倍首相」で指摘した不明の罪は葬り去りたいのです。

 日経新聞の14日付朝刊トップ《政府、東電向け融資枠9〜10兆円に倍増 除染加速》はこう伝えました。「原発事故処理では、賠償、廃炉、除染・中間貯蔵施設の費用がかかる。これらを東電の全額負担にすると、除染が進まず福島の復興も遅れかねないと、政府・与党は判断。費用の一部に国費を投入する方針に転じた。5兆〜6兆円に上る見込みの賠償は東電が全額払う。中間貯蔵施設(約1兆円)の費用は国が全額支払う。実施済みや計画済みの除染(2.5兆円)の費用は国と東電が分担し、追加の除染費用は国の負担とする。東電の負担は最大8兆円に限定する」

 国が負担すると言っても、原資は原子力損害賠償支援機構が保有する1兆円の東電株売却益や電気料金にかける電源開発促進税の投入、特別税徴収している復興財源からです。そして、東電が負担する内実は将来の電気料金への転嫁でしかありません。国民・消費者に隠れた負担として流れていきます。この政府の方針を何の注釈も無しに垂れ流して、経済の専門紙として恥じないのでしょうか。

 福島原発事故の事故原因は政府事故調と国会事故調の見解が違うなどして、誰がどうしたからとピンポイントで明かされることはありませんでした。細部が確定することは、そこに至った筋道が読み取れて、安全審査を含めた問題点をあからさまにする展開につながります。第381回「福島原発事故、国家として原因不詳でよいのか」で問題提起したように、この曖昧化は「原子力ムラ政府官僚」がほくそ笑む展開です。今回の軽減枠組みで、細部どころか、大枠としても政府の責任はもう問われません。

 2004年の国立大学法人化以降で疲弊を重ねさせた末に、かつて無い大学破壊に導く国立大学改革プランが公表されました。朝日新聞WEBRONZAに寄稿した《マスメディアも文科官僚も発想貧しい国立大学改革案》で「メディア報道の一知半解ぶりに唖然とさせられた。年俸制導入という小手先の施策を大手メディア横並びで伝えるだけであり、歓迎しているかのようだ。無理矢理の人件費削減を目指す文科官僚の意図を見抜く能力も無ければ、これから国立大学で起きる改革と称した惨事を予測する分析力も無い」と批判させてもらいました。

 上記の寄稿は読める部分だけ読まれて、視点を変えて対になっている、第397回「国立大学改革プラン、文科省の絶望的見当違い」に移っていただけば大意は通じるはずです。国立大の現場は昔と違い「教員にお金も時間も無い」悲惨な日常と化しています。しかし、官僚の短期成果主義は大学での教育研究をひたすら安上がりに、かつ効率化しようとしています。「世界トップ100に10大学」という皮相な数値目標を掲げ、人件費維持かつかつの底辺大学の予算から削り取って学閥大学に注ぎ込もうとしています。実現したら、全体を支えるピラミッドが崩壊、高いペンシルビルがそびえ立つだけで、それも長くは維持できなくなると予見します。既に歪は先進国中で日本だけ研究論文件数が減る現象として現れています。本当になすべき大学改革の道筋は学閥からの脱却であり、大学と人の評価を全面刷新する世界水準のシステムです。

 「土俵」設定の意味を理解できる専門記者が主要マスメディアにいなくなったのでしょうか。玄関ダネを追っている駆け出し記者、横書きのプレスリリースを縦書きに直す記者しかいなくなったかのようです。お手軽に情報が手に入る記者クラブ担当を2、3年のサイクルで回し続けた結果、似非「ジェネラリスト記者」ばかりになった恐れもあります。特定秘密保護法のように社論として反対でないと安心して論陣を張れなくなった、デスクレベルの見識欠如はわたしの現役時代から見えていました。

 福島原発事故以降の既存の権威が疑われる時代だからこそ、権力側がお膳立てした「土俵」の吟味が欠かせません。問題のたて方根本を疑う力が無ければ、メディアが市民社会から期待されている役割は果たせないでしょう。官製「土俵」の垂れ流しは権力への加担、報道の公害と指弾せざるを得ません。

 【参照】インターネットで読み解く!
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