第463回「本質に触れぬ働き方改革、メディアは理解せず」

 日本人の働き方がこのままで良いのかと問われれば手直しは是非ものです。しかし「残業代ゼロ」が目玉になる厚労省改革案は本質を改めるものでなく、報道するメディアも表面をなぞるばかりで改革の視点を持ちません。この構図はウワツラの思い付き政策押し付けで大学の基盤を壊しつつある文科省の大学改革と似てきました。第435回「2016年に国立大の研究崩壊へ引き金が引かれる」で憂慮したのと歩調を合わせて、労働の現場でも来年から大きな崩壊がありそうな気がしてなりません。

 6日に出された「残業代ゼロ」となる働き方の創設など厚労省報告案について、日経新聞の《日本型労働に風穴〜生産性向上へ厚労省報告書案 脱「年功」、企業の課題》は「脱・時間給」と読み替えて明確に応援団です。《内閣府の推計によると、このままでは日本の労働力人口が2030年までにいまより約900万人減る。労働力が少なくなるのを補おうと労働時間を延ばせば、家庭がおろそかになって少子化に拍車がかかるおそれがある。メリハリのきいた効率的な働き方を広げて、生産性を上げるしかない。脱・時間給の対象も、厚労省が示した5職種から広げる必要がある》。一方、朝日新聞などの報道は労働側の反発を伝えるだけの皮相なものです。

 問題の核心を個人の働き方感覚に見るのは間違いです。ジョブとして仕事の中身を明確にし企業と契約を交わしている欧米の労働者と違い、日本企業では正社員というメンバーになることしか決まっていません。日本のメンバーシップ型だと仕事はいくらでも増やせるのです。

 《メンバーシップ型日本教師の栄光と憂鬱》の例を見れば分かりやすいでしょう。経済協力開発機構の中学校教員の勤務状況調査を取り上げて、国際的比較では《日本の教師が、教師のジョブの中核であるはずの教える時間(teaching)がとても少ない方なのに、事務仕事(Administrative work)がとても多く、とりわけ課外活動(Extracurricular activities)が飛び抜けて多い》と論じます。今回、「残業代ゼロ」となるやや高給な専門職が教員のような仕事の押し付けから逃れられる法律的な保証はありません。

 非正規雇用の問題も本当の「同一労働同一賃金」になっていれば、低い給与が改善される可能性があります。ところが、メンバーシップ型に慣れきっている日本の管理職は、業務全体をジョブとして切り分ける能力に欠けます。いざとなれば「総動員して何とかこなしてしまえ」です。業務の切り分けが生産性を上げる道であるはずで、日本の働き方が根本のところで変わらなければならない時期に来ています。第384回「結婚も離婚後も危うい非正規雇用の給与格差」の問題にも効いて来るのです。