特設版「小手先の政府とマスコミが科学技術立国壊す
    大改革の担い手は無く、日本衰退は決定的に」

 安倍退陣への英ネイチャー誌論説に刺激され日経新聞が「科技立国 落日の四半世紀」を始めて連載が続きません。大学院重点化で始まる文科省の詐欺行政批判視点が無く、若手研究者を守れの主張くらいでは弱すぎです。そもそも2017年の英ネイチャー誌3月特集が「日本の科学力は失速」と明確に打ち出したのに、日本のマスメディア、マスコミは理解できなかったのです。それから3年、日経ばかりか朝日も「若手」をキーワードにして重箱の隅をつつく改善を社説にしました。しかし、世界で日本だけが研究論文数が減り、論文注目度がどんどん下がっている超異常事態には、劇的な大改革しか立ち向かえません。本来なら学者の集まり、いま話題の日本学術会議あたりが抜本的な政策転換を言い出すべきながら、実際は大学教授たち既得権益層で固められており全く期待できません。日本衰退の未来しか見えません。  昨年の拙稿、第622回「迫るノーベル賞枯渇時代、見えぬ抜本政策転換」で掲げた全米科学財団(NSF)サイトのデータをもとにしたグラフを再掲しました。2006年と2016年の国別科学論文数を上位15カ国で並べ、日本だけが12.6%の減少という超異常ぶりが現れています。科学技術政策の担当閣僚・官僚はこのグラフを見せられたら国を誤らせた責任が問われ、本来は切腹ものの衝撃を感じるべきです。でもそんな硬骨の士はもう存在しません。思い付き政策でその場の点数稼ぎをして逃げてしまいます。

 日経の記事は9月28日付で《〈科技立国 落日の四半世紀〉(1)つまずきは若手軽視から 研究力低下、改革後手に 制度・予算も旧弊破れず》です。

 《国は1996年度に科学技術基本計画を打ち出し、90年代後半には米国などに次ぐ地位を誇った。その後も世界のけん引役を担うはずだったが、日本の研究力は中国などの後じんを拝し、今では世界9位に沈んだ。日本はどこでつまずいたのか。落日の四半世紀を検証する》

 1991年に東大で始まり2000年までには主要国立大で完了した大学院重点化が視野に入っていない点だけで、この危機解明に落第を宣言できます。10月2日付でようやく出た第2回《大学の研究力低迷、「選択と集中」奏功せず 広がる格差》で「選択と集中」政策に疑問を投げかけましたが、ついこの間まで日経は「選択と集中」べったりだったと記憶します。小手先を変えるのではなく、深い根っこに気付かねばなりません。

 私は科学部記者として大学の現場を見る機会が多く、朝日賞の選考にもかかわっていたので一線の先生たちから研究の現状への意見・懸念を継続的に聞きました。1997年に会社公認の副業『インターネットで読み解く!』連載を始めてからは文部科学省の政策に危うさを感じ、国立大学法人化など節目、節目で強い警鐘を鳴らしてきました。以下に掲げる7作で時系列を追って、どうしてこんな惨状になったのか、振り返ることができます。第2次安倍政権の登場は三つ目、「世界大学トップ100に10大学を」という空しい提言からです。

 ★『インターネットで読み解く!』7作で見る大学政策失敗の歴史

2002年第120回「負け組の生きる力・勝ち組の奈落」 (2002/06/25)・・・(創刊5周年記念)
『大学院重点化は一種の“詐欺”商法』・・・この年に出された大学審議会答申は欧米諸国と比べて貧弱な「大学院の規模を10年間で2倍程度に」と打ち出し、大学院定員を大幅に増やすことが条件になった。東大法学部が先駆け、財政難の中で長く研究費が抑制されてきた他の学部、他の有力大学にとっても研究費25%アップは魅力だった。次々と重点化に飛びついた。人件費の伸び無しに、焦点の大学院定員を倍増できるのだから、大蔵省も嫌な顔はしない。しかし、大学は重荷を背負った。

2004年第145回「大学改革は最悪のスタートに」(英国ジャーナルに英語版) (2004/05/13) 〜急務はピアレビューを可能にする研究者の守備範囲拡大〜
例えばドイツのように法律で大学内部からの昇進を禁止したとしたら、実力本位で外部から教授を採用せざるを得なくしたら、この国の大学は途方に暮れてしまうだろう。国際級の理系研究者ならば評価はつくが、文系を含めた研究者を各分野ごとに評価し、格付けするシステムがない。『教官選考は公開、公募で、現職含め全員に学外機関での勤務経験を義務化』と踏み込むべきだった。自由を与えるはずの独立法人化は予算締め付けで暗転した。

2013年第363回「大学に止めを刺す恐れ大、教育再生会議提言」 (2013/06/03)
政府の教育再生実行会議がまとめた「世界トップ100に10大学」提言は崩壊しかけている日本の大学を救うどころか止めを刺すでしょう。絶対的不足の公費支出を頂点に重点配分すれば底辺が枯渇、やがて全体も死にます。2004年の国立大学法人化以降、大学や研究機関の活力を示す論文数の伸びが止まり、減少に転じました。

2013年第397回「国立大学改革プラン、文科省の絶望的見当違い」 (2013/12/02)
文科省が公表した国立大学改革プランには絶望的な見当違いがあります。巨額ながら生命線資金でしかない運営費交付金に手を付けて競争的資金にする愚と、大学を評価する能力を持たないのに持っているとの錯覚です。本当に発動されたら国立大学法人化後、運営費交付金を年々絞られながらも辛うじて保たれてきた従来型バランスが一挙に崩壊するでしょう。

2017年第554回「科学技術立国崩壊の共犯に堕したマスメディア」 (2017/04/21)
科学技術立国崩壊を食い止めるおそらく最後の機を逃し、失政の共犯者に堕しました。ネイチャーによる日本語プレスリリースはこう述べています。世界の《全論文数が2005年から2015年にかけて約80%増加しているにもかかわらず、日本からの論文数は14%しか増えておらず、全論文中で日本からの論文が占める割合も7.4%から4.7%へと減少しています》《他の国々は研究開発への支出を大幅に増やしています。この間に日本の政府は、大学が職員の給与に充てる補助金を削減しました》

2018年第595回「日本科学力をダメにした教員減強要とタコツボ志向」 (2018/10/24)
昨春、英ネイチャー誌特集が「日本の科学力は失速」と打ち出しても無視したメディア各社がいつの間にか犯人探しをしています。拝見してポイント外れの原因は見える範囲で取材している限界と根深い底流への無知です。一時は「国立大が悪いんだ」と言っていた日経新聞が運営交付金継続削減の弊害を認め始め、ますます混沌として来ました。

2019年第622回「迫るノーベル賞枯渇時代、見えぬ抜本政策転換」 (2019/10/28)
どのマスメディアもリチウムイオン電池開発を称える記事の後段に日本の論文数や世界での研究注目度が下がってきた憂慮を盛り込んでいました。昨年は国の科学技術白書が悲痛な叫びをあげていたのに報道側が理解していませんでしたが、ようやく追いついたのです。しかし、財政難を口実に惰性に流れる政府が抜本的に政策を改める気配はありません。


 ★ではどう大改革、打開するか・・・

 日経は9月27日付で《無給博士は憲法違反、日本の研究力低迷 野依良治氏》とのノーベル化学賞受賞者インタビューを掲載しています。一番大事な指摘は見出しの「無給博士は憲法違反」ではなく、「実践の態勢として日本の仕組みは世界標準でなく『異形』であり続けている。継続性重視とも取れるが、時代にそぐわない点があまりに多く、日本が沈没する恐れがある。この認識がまったく欠如している」でした。

 その『異形』を解消するためには完全なガラガラポンをやってしまうしかありません。第三者の評価なしにポストに座っている研究者を一掃してしまいましょう。2004年の第145回「大学改革は最悪のスタートに」でこう提言しました。
1.助手や助教授に対する教授の人事権を廃止、教官選考は公開、公募制とし、選考委が学部にどういう専門分野の人材が必要かを検討して選ぶ。

2.その大学の出身者は学外機関での勤務経験を経ていなければ給与を70%しか与えない。この規定は現職の全教官に対しても5年後から適用する

 旧七帝大偏重の学閥依存を脱し、研究者同士がピアレビュー出来るようでなければ適切な教官選考は不可能ですし、研究そのものの進展に害があります。欧米のようにピアレビューが普及せずに研究がタコツボ化している点こそ、研究のグローバル化に日本が後れを取っている原因でもあります。大学の症状は悪化しており、立ち直るには10年かかるかもしれませんが、急がば回れとはこのことです。

 ところが八方手詰まり状態の文科省が2017年から始めたのが指定国立大学法人制度であり、東北大、東京大、京都大に東京工大と名古屋大、大阪大、さらに一橋大を追加指定しました。七帝大もどき復活です。何の見識もない文部科学官僚が旗を振っているのが丸見えで恥ずかしい限りです。博士になっても行き場が無いと知れ渡り、大学院の博士課程学生数はピーク時の半分にまで落ち込みました。詐欺行政の哀れな末路であり、曲りなりに進んでいた科学技術立国を壊す副作用を生みました。