第676回「日本の全国紙に終わりが見えた」

 (慶応義塾大2023講義録の最後の節と同文)
 一つの新聞の発行部数が1000万部、800万部など、世界で稀な巨大発行部数を誇った日本の全国紙――その終わりが見えました。企業としての新聞社は貸しビル業などの事業も抱えているため存続するでしょうが、巨大発行部数に依拠してきた影響力は数年で消滅します。2023年1月のABC部数は次の通りです。(カッコ内は前年比)

 朝日新聞:3,795,158(−624,194)
 毎日新聞:1,818,225(−141,883)
 読売新聞:6,527,381(−469,666)
 日経新聞:1,621,092(−174,415)
 産経新聞: 989,199(−54,105)

 長期低落傾向に少しは下げ止まりが見えるとも言われましたが、朝日は年間60万部を超える減少の有様です。さらに今年になって朝日と毎日は1割を超える購読料値上げを発表、一方で読売は1年くらい耐えるようです。部数減少は「この購読料を払って読む価値があるのか」との疑念が読者に広がってきたからと考えています。購読料一覧を掲げてから、これまでの経緯をグラフで見ましょう。

   元の月ぎめ購読料 新しい購読料=朝夕刊セット
 読売新聞   4400円    4400円
 朝日新聞   4400円    4900円
 毎日新聞   4300円    4900円
 日本経済新聞 4900円    4900円
 産経新聞  夕刊なし    3400円

 一般紙の部数減少は2008年ごろから目立ち始めますが、スポーツ紙は先行して2002年には減り始め、どんどん加速して減って行きました。  スポーツ紙は趣味的な報道内容であり、生活に欠かせないものではありません。2018年には半減、2022年には34%まで縮小しました。報道内容が違う一般紙も追随して行き、2000年比で2018年77%、2022年60%の部数縮小率です。

 「スマートフォンの普及に新聞が食われた」との主張がありますが、賛成できません。《「スマホが新聞を殺した」は本当? 部数が減ったわけを考える》で神田大介氏が作成したグラフを引用して、加筆しました。  2010年からのスマホ普及立ち上がりで新聞部数が大きく減ったとは言えません。スマホ普及が減速した2018年以降に年間部数減が200万部を超えるようになります。加筆した2014年の消費税5から8%へのアップ、2017年以降の全国紙・地方紙の値上げに読者が反応したと読み取れます。

 「読む価値があるのか」疑念が根底にあると考える理由は、全国紙が地方紙よりも大きく部数を減らしている状況を説明するからでもあります。  2009年上半期平均と2022年下半期平均の部数比較で、全国紙は55%まで縮小したのに、地方紙は73%で踏みとどまりました。ABC部数2022後期で前年同期比が一覧できますから、参照すれば全国紙の脆さ、地方紙の粘り強さが分かります。冠婚葬祭を含めて地域社会で生きて行くに欠かせない話題「どぶ板情報」がある地方紙の強さが現れたと考えます。これに対して、以前の全国紙は地方ニュースでも地方紙に書けない記事を志向していました。

 私が地方版で貢献した主な記事が以下の二つです。

 1)新人時代の高知版「沈黙の森」シリーズ・・・山青く森深い高知の森林はスギ・ヒノキ林で、小鳥がついばむ木の実や小動物が食べるドングリなどが出来ず、沈黙の森になってしまった――生態系を壊した林野行政への告発。

 2)科学部から京都支局に出て京都版で描いた京都ベンチャーの商品開発「うちのヒット商品」シリーズ26回・・・NHK番組「プロジェクトX」のように「皆して頑張りました」ではなく、科学記者の視点で市場開拓型商品開発成功の急所を究明。頑張って成功しなかった開発は山ほどあります。地元の京都新聞記者が知らない話が毎回でした。保存した連載記事を《大型特集【独走商品の現場・京都】》で公開しています。今でも印象鮮烈なのがイシダの組み合わせ式計量機で、ポテトチップスやウインナソーセージからネジ・ボルトまで大量生産品は何でも世界中でこの方式で計量、袋詰めされています。始まりは高知の農協から頼まれたピーマンの計量でした。

 2015年に久しぶりに高知を訪れて、旧知の女性弁護士から「もう高知版には読む記事が無い」と訴えられました。人減らしされた全国紙地方支局陣容では事件事故と行政・企業発表への対応くらいしかできなくなっています。

 新聞の衰退は米国では早くから言われており、地方紙が15年で2100紙廃刊し、生き残った地方紙も規模が衰え、広告収入が激減しています。チェック機関であるメディアが無くなって行政の不正などがあるとされ「ニュース砂漠」が地域で広がっています。日本の場合は何とか地方紙は残り、全国紙が衰退する状況です。

 東京や大阪など都市部に人的資源を集める全国紙は精気ある報道をしているのでしょうか。この1年はウクライナ戦争に集中して毎日、内外のニュース・文献を読んでいますが、全国紙から冴えた記事に出会えた試しがありません。ニューヨークタイムズやロイター、ウオールストリートジャーナルなど海外メディアは、ネット報道の特性を生かして充実した長編ルポや長編分析を掲載するなど良い仕事をしています。

 全国紙は相変わらず形ばかりの政府・権力批判を続けています。しかし、大きな問題では実は誤った政府依存報道をしてきたのが実態です。立命館大産業社会学部2019年冬学期の講義録《福島原発事故と科学力失速に見る政府依存報道》でその内実を暴いています。

 端的には福島原発事故で炉心溶融が2カ月間も大手メディア報道から消えた問題があります。《世界標準の原発報道から見てあまりにも恥ずかしく、大阪本社から東京本社に専門家のコメントも付けて「炉心溶融している」との原稿が出されましたが、東京本社は政府が認めていないとして握りつぶしたと聞いています》

 5年後の2016年に経緯が明らかになりました。炉心溶融が2カ月間も政府・東電の発表から消えた理由は、東電が溶融の判定根拠を持たなかったからであり、調べると「社内マニュアル上では、炉心損傷割合が5%を超えていれば、炉心溶融と判定することが明記」されていました。このマニュアルは原発運転に携わる者なら必読なのですが、東電の原発事故訓練は誰かがシナリオを書いて参加者全員がお芝居をしていて、事故訓練中にもマニュアルを読む必要が無く、運転員大多数が知らなかったのです。

 この惨状をどの在京メディアも暴けず、自らの報道姿勢と炉心溶融隠蔽の経緯を問題視する事もありませんでした。2011年秋の新聞週間特集紙面で「原子炉は何時間空だきするとどうなるのかなど詳しいデータを知っていたら、もっと的確に記事を書けた」と言って恥じない科学部長がいました。問題意識を持って知らない点を取材する職業意識すらない――日本の全国紙に大きな知的退歩が見られると申し上げます。