第26回「移動電話は規制緩和の鏡」

 携帯電話とPHSの加入数増加は、'97年後半になっても高水準で続いている。郵政省の「移動電気通信事業加入数の現況(平成9年8月末現在)」によると、8月末時点で移動電話が2,525万4,550台(前年同月比74.9%増)、PHSは701万9,085台であり、さらに「9月末の速報」をみると両者の合計は3,300万台を超した。相当の重複加入を考慮しても国民の4人に1人近くが持っている計算になる。この状態で前年比7割増の急成長は何を意味しているのか、何が通信の未来に待ち受けているのか、考えてみたい。

◆移動電話の普及カーブ

 グローバルな普及状況について「移動電話成長の状況(日米欧比較)」が簡潔な一覧表を提供してくれる。NTTが携帯電話を実用化した時期は欧米に先行していて、'79年に遡る。北欧、米国は数年遅れで続くのだが、'90年の時点で日本87万に対して、米国528万、英国114万、スウェーデン48万、フィンランド26万と、国の人口を考えると大きく水を開けられている。そして、不況下でモノが売れなくなった近年に突出した現象、'94年以降の爆発的としか言いようのない普及につながっていく。

 経済学の立場で、移動体通信と自家用車の普及を比較した研究が「移動体通信の普及とモータリゼーションとの比較考察」で読める。高嶋裕一氏は「移動体通信の普及過程」で、米国の政治介入などで競争が制限された初期段階をまとめた後で、普及期について「端末売り切り制導入('94年4月)」「ディジタル携帯電話事業者の新規参入」「販売報奨金投入による価格破壊」「PHSの導入('95年7月)」「料金値下げ」を加速要因として挙げ、「とりわけ重視すべきなのは、端末の売り切り制度である。これによって、移動体通信の普及はモータリゼーションとの類似性を示すようになったのであり、公共サービスから耐久消費財へとその特性を変えたのである」とみる。昨年12月の「電気通信事業法施行規則の一部改正」によって、料金が認可制から届け出制に変更され、この傾向はさらに増した。

 詳しい検討過程は興味のある方に読んでいただくとして、高嶋氏が「比較の方法」で述べている「交通と通信の類似性から直接的に移動体通信の普及とモータリゼーションとの類似関係を結論することは困難である。実のところ、両者の類似性は財・サービス自体としての類似性ではなく、それを取り巻く状況の類似性と考えるべきかもしれない。つまり、モータリゼーションと移動体通信の普及との類似性は、交通需要と通信需要という一般的な選択行動の類似性に由来するものではなく、大衆的な消費行動(モータリゼーションの場合は自家用自動車の保有、移動体通信の普及の場合は携帯電話端末などの保有)がそれまで維持されてきた公共サービスを破綻させるという状況の類似性に由来する」との指摘は鋭い。

「携帯電話端末も自家用自動車も購入された後は私物として自由に扱うことができるものである。しかし、人が集中するような公共空間でそれらを使用することが社会的な軋轢を生み出すこととなった」「自動車も携帯電話も、社会的なインフラとしてではなくむしろ身体機能を延長するものとして意識される傾向がある。この場合、自動車とは、個人の移動・運搬能力を増加させる機械の足であり、携帯電話とは、個人のコミュニケーション能力を増加させる機械の耳・口である。このように考えるならば、自動車や携帯電話の普及は公共交通や公衆通信ネットワークの整備状況とほぼ無関係に進展するということはそれほど不自然ではないだろう」

◆携帯電話の使われ方

 東京都が'96年10月に発表した「中学・高校生の生活と意識に関する調査について」によると「自分専用のポケットベルを持っている者は、全体の24.2%、自分専用の携帯電話をもっている者は、全体の6.6%であった」。それから1年間の普及動向を考えると、ポケベルは減っている一方、中高生でも携帯電話は10%を超えているかもしれない。

 その携帯電話をどう使っているのか、聞き取り調査をしている研究者がいる。「移動電話利用のケース・スタディ」で松田美佐氏は、電話番号登録の「機能は外出先で公衆電話をかける際につきものの面倒さの一つを省くものではあるが、逆に言えば移動電話を使ってかける相手は登録されている人がほとんどであるということを示している。同じことがプライヴェート使用の移動電話にかかってくる相手にもあてはまる。すなわち、限られた人にしか移動電話の電話番号を教えないことにより、移動電話を『個電』として、家庭や会社の一般加入電話と上手く使い分けている」と報告する。

さらに、「常に持ち歩いている点で、固定電話以上に『身体の拡張機関』となった移動電話を通じて、隣の人に話しかけるように遠くの人に気軽に話しかけるのである」「現在移動電話の必要性を感じない人々にも移動電話が普及する可能性は充分考えられる。なぜなら、人々に使われる中で移動電話の果たす『用件』は変容するのであり、新たに生じた『用件』がこれまで必要性を感じなかった人々の関心を呼ぶことが考えられるからである」。事態はまさにそう進んでいるようだ。ごく近い将来に5000万、6000万にも達すると言われる移動電話が、個人的なおしゃべりだけで消費されるとは思えない。

 今年になって、限られた製品しかなかった携帯型情報端末やモバイルコンピューターに各社が一斉参入した。それまで、昭和大の「質問 :移動体通信の未来はどうなる?」で紹介されているようにフィンランド・ノキア社の「NOKIA 9000 Communicator」のようなものを未来型の端末としてイメージしていたが、似たような存在がどっと現れた。「小型携帯端末マシン」に各製品へのリンクが張られている。もちろんPHS・携帯電話とつないで使える。機器の使い方も各社で提案し始めている。たとえば、パワーザウルスを投入しているシャープは「モバイルツールの到着点」で、インターネットでブラウザーになり、デジタルカメラにもなって重量320グラムだとハード面の利便を強調する。「GENIO(ジェニオ)」を出した東芝はソフト指向で、「駅前探険倶楽部」で外回りのサラリーマンに向けて、サボリ場所情報や穴場情報を提供するという。

 一方、「エレクトロニクスショー97パネルディスカッション・モバイルコンテンツは街から生まれる」では「モバイルは、今まで、ビジネスから抜けきれなかった。生活を楽しむことを、付随的にとらえていたんです。ところが、生活のラテン化が強い10代、20代の若者を対象とする場合には、ビジネスなんて関係ないんです。モバイルは、ビジネスに寄りかかっているだけでは、進化しない。今を楽しみたいという欲求、そこにどう応えるか。そういった魅力的なコンテンツなら、課金も可能でしょう」と気炎が上がっている。

 何かの夢を見られる段階に達したが、まだまだ、本当の「用件」には到達していない観がある。皆さん、どう思われるだろうか。

◆規制緩和が米国をも救った

 携帯電話をテーマにものを考えたいと決めたとき、最も理解したいと思ったことに、日米のこの10年間がある。バブル期、この国が勝手なジャパン・ナンバーワン論の妄想に耽っていた時期に、既に移動体通信では水が開いていたことは最初に見た。

 経済学者公文俊平氏のところで見つけた「マイクロコズムとテレコズム:ジョージ・ギルダーの未来の情報通信産業論」は、その回答を半ば提供していると思う。「『富と貧困』の著者である経済評論家ギルダーは、情報を垂れ流すだけのテレビの時代は終わり、双方向型の端末「テレピューター」を予見して、80年代の日本優位の時期に「現在取られている対策は誤っている。日本を真似たり、日本に追いついたりしようとすべきではない。日本が開発したHDTV(注:ハイビジョン)への対抗としての市場閉鎖や日本産業との協力を考えたり、政府に頼る産業再建策を採用しようとするのは、いずれも正しくない。また、巨大企業の時代も過去のものになりつつあるのだ。アメリカとしては、日本の開発したものとは別の自前の技術と、国内市場の可能性に目を開くべきである。なにしろ、HDTVはもともと大したものではないばかりか、そもそもテレビ時代は今や終わろうとしていて、次に来るのは "テレピューター"の時代なのだ。新時代の到来にさいしては、アメリカの先進技術( コンピューターとテレコム )がものを言う。この分野では、アメリカは日本よりはるかに先に進んでいるばかりか、アメリカの中小企業、個人企業も優秀であって、新技術の利用によく適している。それに、アメリカの消費者も決してバカではない。テレピューターの導入によって、アメリカは社会生活の様相を一新できる。とりわけ、ビジネスと教育と芸術が変わるだろう。新時代を生みだす鍵は、規制緩和にある。とりわけ、地域電話会社に活動の自由を与えることが肝要だ」

 あちらのNTTであるAT&Tの「ニュージャージーの本社は、1980年になっても光ファイバーには否定的なままで、せっかくのベル研の開発した技術は、さっぱり生かされなかった。その間、日本は光ファイバー化、フランスはディジタル化に走っていた。スェーデンは全国を高度ディジタル化して市内電話料を米国の半額にした。このため、スィッチだけでなく光ファイバーの製造についても、米国のリーダーシップは失われてしまった。これが、1980年代初頭の米国テレコム危機の本質であった。そして、それを結果的に救ったのが、1982年に、米国の連邦裁判所のグリーン判事が下した修正最終審結であった。それによって、AT&Tは、長距離電話と関連機器製造に特化する新AT&Tと、市内電話サービスを独占的に提供する七つの地域電話会社とに分割されたのだが、この分割が競争力の復活につながったのである」

 移動体通信については「第三に空気の技術、つまり電波による通信の技術は、ネグロポンテの言う通り、放送よりも移動体通信をカバーする方向、携帯電話型の双方向通信に進んでいく。そのさい、現在では稀少な資源とみなされて国家的監理の対象とされている周波数も、波長分割多重通信の技術の発達によって、帯域と同様、事実上無限になっていくだろう。しかも、こうしたシステムは、これまでの電話の交換システムのように巨大化される必要はない。むしろ、比較的小さな、相互接続可能なシステムのネットワークができあがる方向に進んでいくだろう。ここでは、これまでのような "規模の経済" は、生じないのである」

 公文氏は、ギルダーの議論を米国社会が必ずしも理解している訳ではないと述べる。それでも、その方向に進んでいく。「深刻な問題に直面しているのは、何も電話会社やケーブル会社だけではないからである。コンピューター会社は、これまでもっぱらコンピューターのオフィスでのビジネス利用に焦点を合わせてきた。そこに作られたLANのシステムは、通信システムとして見た場合、はなはだ原始的なものにすぎない。しかし、これからのコンピューターの巨大な需要は、オフィスよりは家庭での“テレピューター”としての利用の面に出てくることはほぼ確実であり、コンピューター会社も大きな適応の必要に迫られているのである」。インターネットはこうして進化し始めた。

 「用件」も「機器」も「ネットワーク形態」もまだこれと決まってはいないが、数年のうち、次の世紀初頭には変化の相転移点のようなものがあるのは確からしい。7月に開かれた「ワイヤレス国際ビジネスセミナー」には、現在の一桁上の移動電話端末を可能にする次世代規格や、多数の衛星を利用した移動電話などが多彩に語られている。これに移動しながらマルチメディアを使い込めるMMACなどを含めた絵だけなら「移動体通信の進化予測」に描かれている。しかし、次代を見通す強力な視線には、国内をあちこち歩き回っても出会えなかった。かつて「パソコンが家電になれば、こちらのものだ」と言った経営者がいた。勝負の舞台が日本型家電の世界ではないように思われるこのとき、具体から積み上げて指針を割り出す分析家が本当に欲しい。