第36回「日本人大リーガーへの科学的頌歌」

 フリーエージェント宣言をしてヤクルトを離れた吉井理人投手が、1月13日、米大リーグのニューヨーク・メッツとメジャー契約を結んだ。憧れの大リーグでプレーする7人目の日本人選手となる。年俸は1年契約で、成績に応じて払われる分を含めても70万ドルと推定され、国内に留まった場合の4年契約8億円など、これまでに取りざたされている数字と比べものにならない。それでも敢えて米国に渡る、32歳の挑戦である。日刊スポーツの「野球ニュース」は、正式契約を結んで帰国した吉井投手が愛称として、英語で「GOOD」になる「ヨシ」を希望、「人気者になりたい」と述べた話を紹介している(編集部注:すでに該当記事は掲載されていない)。「吉井を獲得したニューヨーク・メッツのチーム事情」は先発投手陣が故障者続出で手薄になっている台所事情や大リーグ全体での選手不足、それに「日本人が多く住むニューヨーク、クイーンズ地区を本拠地とするメッツが、日本人観客動員を吉井に期待したとしても不思議ではない」と、ロサンジェルス・ドジャースで活躍する「野茂英雄」と通じる背景を伝える。通常は所属球団に縛られているプロ選手が、唯一移動の自由を行使できるフリーエージェント制で移籍したことで、大リーグ挑戦はようやく普通の事柄になった。高校2年の吉井を見たころから始まった、私と野球の科学との関わりにも一区切り、つけてみたい。

◆高校野球と金属バット

 私のいる新聞社では、高校野球取材は入社2年目くらいの記者の通過儀礼である。長い原稿を何本も書くチャンスであり、甲子園までの過程で事務的な雑用をこなすトレーニングにもなる。私の場合は巡り合わせで、もう少し記者経験を経てから、和中、海草といった古典的な名門校から、昨97年夏に全国制覇することになる智弁和歌山まで、多彩な顔ぶれがそろう和歌山で迎えることになった。

 初夏の午後、有田市にある箕島高校を訪れ、尾藤監督に取材してから、ブルペンで吉井の投球を10球余り見た。当時の3年生エースは駆け引きに長けた軟投タイプだが、吉井の球はホームベースに来てもお辞儀しない、この年見た最高の剛速球だったことを鮮明に憶えている。野手の間にプッシュバントで、計ったように球を転がす職人芸戦法で甲子園を沸かせた箕島は有力校だったが、地方大会の幕が開くと、壮絶な打撃の大会になり、早々に姿を消した。一方、新設校の弱小チームだった智弁和歌山は、この年初めてその力を認められる。筋力は十分でないものの正確なミート打法が生み出す長打の連続に、バックネット裏で驚嘆するばかり、何が起きているのか最初はよく分からなかった。智弁和歌山に限らず、打撃の優位は明らかで、好投手でもっていたチームはどんどん沈められていった。翌年、地方大会の本塁打数は全国計で964本に上り、通常500本ないし600本だった過去の地方大会とはっきり違う様相を示した。

 私は大阪本社で新設された科学部に異動することになり、最初の仕事として、この現象を生み出した原因を、超々ジュラルミンと呼ぶ新アルミ合金を使った金属バットにあると狙いをつけて取材を始めた。格闘技などスポーツの科学などを手がけられていた、中部大の吉福康郎さんに協力をお願いして、私も一部の測定を手伝いながらまとめ上げた計算結果を紹介しよう。新合金の強さを利用して、バットの重さを変えずに直径を太く肉厚を薄く製造できたため、直径63.7ミリの従来品に比べて、直径68.5ミリの新バットはボールとの衝突時に変形が大きくなる。時速100キロの球を時速100キロのスイングで打つ場合に、球は10.5ミリ凹む一方、従来バットは3.1ミリ、新バットは4.4ミリへしゃげる。金属の復元は球より速いからバネとして効き、球が飛び出す初速に差が生まれる。時速にして140キロに対し156キロにもなり、飛距離にしたら10メートルは楽に違ってくる。「Example-1」には、木製バットと思われるが、球と衝突時のバット内部の力状態が示されていて、興味深い。

◆黄金の均衡を崩すもの

 野球の科学については、人気の割には公開データはあまり多くない。「野球の打撃動作に関する研究」に要領よく、身体運動に関する研究が要約されている。「平野(1993)は、バットの動きを水平面内の並進運動と回転運動に分け、熟練者と非熟練者を比較した。その結果、回転速度は似たようなものであるが、熟練者はインパクトに近くになって急激に並進速度を増していると報告している(図参照)。そして、この原因について、バット速度を高めた後、『当てる』動作を行うためにバットを長く並進させ、バット速度を小さくしていると述べている。だが、『当てる』だけに終始するのは『押す打撃』といわれて一般的に評価が低いため、『運ぶ』打撃をするために手や打具を回転させて回転速度を大きくした方がよいとも述べている」。バット速度を生む仕組みはこうである。「McIntyreとPfautsch(1982)は、上肢の動きについて野球のバッティングを2次元画像解析して、肩、肘、手首、手、バットの順に打球方向への最高速度が出現し、しかもその最高速度は身体の端ほど大きなることを示した(表参照)。これにより、バッティングの打撃位置の速度を大きくしたい場合には、身体の端の部分ほどインパクトに近い時刻に最大速度が出現し、最大速度自体も増大していくことが確かめられた」

 打撃で使われるのは上肢だけではない。地面に踏ん張っている足から、回転の軸になる腰、その上に上肢がある。選手それぞれが持つ各筋肉の強さ・バランス、関節の柔らかさ、三次元的な接続関係などから、バットを繰り出すストライクゾーン上の位置によってバット速度は変わらざるを得ない。例えば体から遠い外角ではバット速度が落ちるのが普通で、その割合は内角に比べ20%減になることさえある。ヤクルト・野村監督のID野球に採用されて有名になった「アソボウズスコープ」データが示す打者の得意・苦手コースとは、この「ばらつき」と考えられる。「テータムまさかの(?)先制勝越決勝ソロ」は、初球スライダーをテータムのそこしかない「十八番のやや高め」に入れてしまった西口=伊東のバッテリーの過ち、'97年日本シリーズの重要場面を鮮やかに切り取っている。

 高校生なら時速100キロしか出せないバット速度が、プロ野球選手、特に一流大リーガーになると150キロにも達する。この差は、バットという1キロ前後の重量物を振り回す筋力の差から生じる。スポーツ用品メーカーの技術陣は「高校生なら50グラム軽くすれば10%速度が増す」ことを経験から知っていた。非力な高校生にとって同じ重さで太く薄いバットにするのではなく、軽くするだけでも効果があったのだ。

 社会人野球は高校より少し遅れて、'79年に都市対抗野球に金属バットを導入。新合金によるバット出現前だったが、本塁打数はたちまち倍増、3倍増に膨れ上がった。重いバットしか造れない時期でも、社会人の腕力なら問題にならず、木のバットより弾性変形する構造そのものが長打を増やした。変形するために打撃の「しん」部分もずっと広くなった。やがて社会人野球では真っ向勝負は愚、長打になりにくい外角主体に逃げるピッチングが主流になり、スポーツとしての人気を落とす一因にもなった。攻守、投打の微妙な黄金のバランスが崩れたのだ。考えてみて欲しい、凡打の山は特大のホームランを輝かせるためにある。本塁打の山が築かれるとき、本塁打そのものの輝きが薄れる。それは投手の「快投」という輝きを失わせることでもある。高校野球の世界では、肉厚が薄過ぎるバットは金属疲労で寿命が短く、折れて危険だとの点をつかまえて緩やかな規制に踏み切ったが、野球界全体として金属バットの優位問題そのものは手つかずで残った。

 「SPORTS CHANNEL」のバックナンバー('96年8月)「五輪全日本に金属バット後遺症」は、その金属バットと木のバットしか使えないプロ野球選手の出会いを伝えている。「両チームの練習があった前日、珍事件があった。全日本が練習を終え、宿舎に向かったところでグラウンドにでたイースタン選抜首脳陣がなんと敵情視察。全日本とキューバがアトランタで使用した金属バットを手にとって点検したのだ。指揮をとる若松ヤクルト二軍監督が黒江ロッテ二軍監督に『黒江さん、どのくらい飛ぶか打ってみますか』と持ちかけた。『ああ、オレが先に打ってみよう』とキューバ、全日本の順に試し打ち。結果は全日本のバットで左にオーバーフェンス2本。見守る選手たちからタメ息がもれた。ついで2000本安打、名球会員の若松監督が試打。こちらはフェンス越えはなかったが木のバットとは違う鋭い打球が左右に。佐野日本ハム二軍監督は『飛距離が15メートル以上は違うな』と言い、米田横浜二軍監督も『予想以上の飛距離がでる』と仰天」

◆魔球・高速フォークボールの空気力学

 そんな金属バット全盛の社会人野球で、野茂はフォークボールを憶えて勝負する面白さを知った。腕力で大リーガーに劣らぬキューバ・チームがいるオリンピックの舞台で、さらに世界への目を開いたという。近鉄球団を任意引退、国内に戻る道を自ら塞いで米国行きを決めたシーズンオフ、野茂は、やはり近鉄をお払い箱になった吉井にフォークボールを教えた。高校時代から変わらない速球投手だった吉井は、フォークボールを知ることでヤクルト球団で再生を果たす。そして、大リーグへ渡る実力を身につけた。

 フォークボールと剛速球の組み合わせは、金属バット強打者にも、大リーガーに対しても通用する。テレビ観戦の目にはとんでもないワンバウンドボールと映るフォークを、打者が強振してきりきり舞いする、その秘密は何か。溝田武人・福岡工大教授の「フォークボールの不思議?」は空気力学で解明している。

 「速球派投手がフォークボールを投げる場合、まず直球によって打者に飛翔軌跡を学習させて、その後フォークで勝負するパターンが良く見られる。変化球投手ではカーブ、チェンジアップなどを見せ球にして、フォークボールで打者を料理するパターンもある。しかし、ここでは」横浜ベイスターズの「佐々木投手の、『ストレートあってのフォーク』という言葉に従って、直球とフォークボールの組み合わせによって勝負する場合に焦点を絞って考える」。切れの良い直球はバックスピン回転をしていて、これが揚力を生み出す。そのため「ボール速度43m/s(155km/h)で回転速度40rps(2400rpm)で投げる剛球投手のボールの鉛直方向加速度をa=0.05gとすれば、ホームベース後端までの距離18.44mの間で」「わずかに4〜5cmしか落下しない」。

 これに対して、「佐々木投手や野茂投手のフォークボールの観察例によると、ボールはサイドスピンしており、回転軸はFig.1の(b)に示すような鉛直方向を保っている」。直球のような揚力が発生しない回転が、フォークボールの特徴となる。「前述の佐々木投手のフォークボールは、37.5m/s(135Km/h)の初速で投げられ」「ほとんど揚力が作用していないことが分かる。すなわち、良いフォークボールとは揚力がほとんど作用していないボールであることに注目して欲しい」。平たく言えば、重力に従って素直に落下するボールがフォークなのであり、重力に逆らっているボールが直球なのだ。フォークの場合はさらに横向き回転によって生じる横方向の変化が加わる。「投げられたフォークボールの回転速度の初期条件(N=10rps程度)によっては、飛翔途中で回転速度が増加し、途中から横力が増加するので、横方向変位が時間tの3次曲線で表され、打者の手元で大きく変化し、鋭い変化球として威力を増す」のだという。

 それだけの違いなら打てないはずはないのだが、「これらの投球を打者から見て表示して、Photo.5に示す。低めのストライクゾーンに入る直球と、さらに低いボールになるフォークボールの例である。Photo.5の上側に一塁側から観察したボール軌跡を示している、打者に6m程度接近した時点まで、直球とフォークボールの軌道軌跡の違いが現れていない。打者には飛翔軌跡の違いが認識できないのではないか、ということを示している。ホームベース手前でバウンドするようなフォークボールを好打者が空振りする例を数多く見るが、打者にとってフォークボールは直球と識別困難な非常に打ちづらい球であることが理解できる」。「バットスイング開始からインパクトまでの時間は0.17〜0.2secは要する。したがって、36m/s(130Km/h)以上のスピードのボールであれば、投手板とホームベースの中間地点にボールが到達した時点でスイングを開始しなければならないのである。直球とフォークボールの飛翔軌跡の差が、それより後で顕著になるとすれば、ホームベース手前でワンバウンドするような悪球にバットがまわってしまうと考えられる」。これこそ高速フォークボールが、打撃優位の時代に真っ向勝負に耐える秘密である。

 時速150キロのボールにやはり150キロのバットスイングが立ち向かう、地上最高速のスポーツ現象、硬式野球の打撃では衝突時の衝撃は瞬間的に何トンにもなる。会心の当たりをした打者はバットに蓄えた力をボールに託せるために、平気な顔ですっと立っていられるのに、空振りした打者は力のもって行き場を失って崩れ舞う。ドジャースのホームページにある「Hideo Nomo Timeline」は、大リーグでも強力打線で知られるロッキーズ戦でノーヒットノーランを演じた野茂の写真を掲げている。野茂、伊良部、吉井……彼らの快投を、今年は存分に楽しみたい。