第48回「残したい森林資源どう守る」

 国土の66%を占める森林、それを守り育ててきた林業が官民とも危機に瀕している。政府は'97年末の閣議決定に基づいて、累積赤字が4兆円に近い国有林野事業の「改革」を打ち出したが、中途半端で、組織の生き残りを優先した感が強い。森林面積の7割もある民有林は、林業後継者の不足、いや、新規の学卒就業者が年間に全国で200人と言われる絶望的な希少化に、将来はないのではと思えるほどだ。木材市況の長期低迷は山林経営を実質的に放棄して、荒廃に任せる地主を増やしている。「高知工科大学と地域おこし」はこう述べる。「田畑同様山林も、手をかけないでいるとどんどん品質が悪くなります」「まず、間引きをしないでいると生長が悪くなり、また枝伐ちをしないでいると節が増えて、木材の商品としての価値が下がります」「もっと重要な点は山林の重要な機能の一つである保水の問題です。雨の際に水分を一時的に貯えることによって、一気に河川に水が流れ込まないようにする機能です。染み込んだ水の一部分は時間を置いて川に流れ、一部分は地下水となります。この能力の善し悪しは土壌や下草の状態が大きく関係します。林の枝振りを適切にしておかないと、下草がうまく育たず 土壌も固くなり土が水を吸ってくれなくなります。雨水は地表を流れ、河川に直接流れ込み、下流を氾濫の危険にさらします」

◆国有林野は再生の機を失しつつある

 政府が実施しようとしている国有林野事業の「改革」は、累積赤字の内から2兆8,000億円を'98年10月に一般会計の負担に振り替え、残り1兆円のまかないは今後の合理化や資産の売却で生み出そうというもの。農水省の「国有林野事業関係主要指標」を眺めれば、素人目にもこの計画が達成不可能なことが分かる。かつての国鉄以上だろう。3兆3,308億円の債務残高を抱えていた'95年度決算はこんな収支状況になっている。

 林野や土地売却を除いた本当の収入は1,200億円程度で、これは人件費の6割見当しかない。必要経費を乗せれば半分にも満たない。1兆円の債務を残して組織の合理化を図ったとしても、一般企業ならば再建計画など立つはずもない。

 最盛期には8万9,000人の人員を抱え、戦後30年ほどは黒字経営だった。しかし、普通の企業のように自ら生産したものを売って利益を得ていたのではなかった。木は植えてから50年以上は経たないと、商品として売れるほど成熟しない。国有林野は過去の遺産を切り売りして利益をあげていた。輸入材との価格競争に敗れた、その後の20年は伐採に適した資源がわずかになる中、赤字を積み上げてきた。あと20年踏ん張れば、確かに自ら育てた木が切れるようになる。しかし、踏ん張ることが後世どう評価されるか、単なる収支計算の面だけからも自信はなくなった。

 林野庁は'96年11月の「『森林資源に関する基本計画並びに重要な林産物の需要及び供給に関する長期の見通し』の改定について」で、「我が国の森林資源整備は、これまでに1,000万haを越える人工林が造成されたことから、生態系としての森林という認識のもとに、『森林を健全な状態に育成し、循環させる段階』になったことを宣言」し「伐期の長期化に伴い、森林蓄積を将来、現在の1.3倍の46億m3に増大させ、木材需給の変動に弾力的に対応するとともに、二酸化炭素の吸収固定能力の増大も目指す」という。「公益的機能の発揮をより重視」し、「森林総合利用の推進と都市・山村交流の活性化」の方に重点を移すつもりだ。

 しかし、国土面積の27%も占めるようになった人工林はスギ、ヒノキを中心にした針葉樹が圧倒的であり、公益機能や人が森に期待している豊かさとは必ずしも一致しない。駆け出しの記者だったころ、高知版に「沈黙の森」と題したシリーズを連載したことがある。書き出しは、針葉樹の林に埋め尽くされた山村の不気味な静けさだった。豊かな緑の中で小鳥のさえずりくらいありそうなのに、風の音がするだけ。整備された人工林に足を踏み入れると、動植物相の貧弱さにあきれる。広葉樹の林と違い、木の実もなければ昆虫類も少ない。一斉に植林された針葉樹林は保水能力にも問題がある。集中豪雨などで、あっさりと崩壊する例が各地で見られる。春先に悩まされる人が多い花粉症の原因にもなる。

 国有林の改革は、これからどんな森にしていくか、の議論の上に成立すべきだが、過去に縛られている自社両党が組んだ与党体制の下では、小手先の軌道修正を重ねているようにしか見えない。政府に残すならどれほどの機能と人が要るか示すとか、地方分権に委ねる、あるいは完全民営化とか。これ以上食いつぶしては抜本改革の機を失いそうだ。

◆民有林に若者が帰る日は

 林の成熟は5年間を1単位にした「齢級」で表す。「育成途上の人工林」のグラフは「日本の人工林約1,000万ヘクタールの内、7割が保育・間伐期にある樹齢35年以下の若い森林」という姿をよく示している。7齢級が一番多くて172万ヘクタール、以下、6齢級の169万ヘクタール、8齢級、5齢級と続く。売り物になる10齢級以上はそれぞれ10万とか20万ヘクタールくらいの面積しかない。

 他の樹種の割り込みを抑圧し、単一の針葉樹林を作りやすくするために高密度に植林する方法がとられてきた。だから放置すると、ひょろ長い木ばかりになる。間引きがどうしても必要になる。戦後は従来の常識はずれの山奥まで植林してしまったため、山仕事全般、特に間伐作業は大変になった。「年々低下する間伐実施面積」はそれができなくなっている実態を示す。「間伐面積、比率とも年々低下し続け、平成6年には面積で19万6,000ヘクタール、比率では46%に。間伐が必要な若い人工林の5割以上が放置されているわけです。これは林業の人手不足の深刻化とともに、近年、不在村者の所有する森林が増えている事実とも密接な関係があります」。

 食料・農業・農村基本問題調査会の資料「中山間地域の森林・林業の現状と問題点」を見ると、都市の家庭が薪炭を必要としていた家庭エネルギー革命以前、'60年に44万人いた林業就業者が、'95年には9万人に激減、しかも50歳以上が7割を占める。民有林の不在村者が所有する面積は、'90年で21.8%まで増えた。「不在村者所有森林は、年々増加する傾向にあり、森林の管理水準が低くなるなどの問題点が指摘されている。これらの問題は、在村者所有森林についても生じる可能性があるが、森林所有者が通常遠隔地に居住していること等から、特に問題となる可能性が高い」と指摘されている。

 何の手も打たれていないわけではない。例えば「山村定住・就労体験プログラム『青年山村協力隊』」。世界演劇祭「利賀フェスティバル」で有名になった富山県の「山村での1年間の就労体験を呼び掛け、若者のもつ技術や経験を活かす場をつくり、長期的でかつ積極的な村おこしの展開を目的とし、山村文化を体験した若者が魅力を感じ、将来は定住へと結び付けばという考え方に基づいている」。三重の「宮川村フォレストファイターズより…」にもIターンした若者たちの紹介がある。肉体労働とは遠い仕事の若者たちが、厳しい山仕事に挑んでいる。ただし、いずれも全体から見れば、ほんの萌芽段階にすぎない。

 生育途中の林をほぼ10年の間隔で間引くと、柱にはならない、小口径の間伐材が発生する。'98年に入ってちょっと明るいニュースがある。昨年末に出された通達で、地方自治体の公共事業に間伐材を使う動きが広まり、間伐材の価格が急上昇して、前年の倍にも達した。1立方メートルの価格が3万円前後する柱材に比べれば半分だが、7,000円程度だったこれまで伐採や運搬の経費にも足りず、間伐材の半分以上は貴重な木材資源なのに利用されずにいた。間伐が進まなかったのも、遠い遠い将来の収入を見越して、現金支出を続けることに耐えられなかったからだ。採算ラインに乗るのなら見通しは違う。建設省などが利用を呼びかけている河川や砂防工事の例として「間伐材を用いた護岸工事が出来るまで」を挙げておく。樹脂を含浸させて「間伐材に新しい生命を注入する『美化木』で飛躍」など、期待を持たせる、新しい間伐材の利用方法も現れている。

◆輸入木材に頼り続けられるか

 木材の値段は下がり続けている。熊本営林局による「木材市況」にグラフが用意されている。不況の浸透もあってか、過去半年で2割は楽に下げている感じだ。先にも引用した林野庁の「見通しの改定」は需給見通しについて「国産材用途の主要を占める製材用材は、安定的供給体制整備等により、20年後の自給率は5割に近い水準に上昇(現在33%を20年後には46〜48%)」と希望的観測を述べる一方で、全体として「国産材の供給量は、今後とも減少する等我が国林業・木材産業にとっては厳しいもの(木材全体の自給率は現在の24%から20年後には15%にまで低下)」となり「外材供給量が20年後には1億立方メートル近くまで増加」するとみている。

 輸入材といえば熱帯林が浮かぶ。その減少速度は加速していて、国連機関の調査では'80年には年間1,100万ヘクタールのペースで消えていたのが、'90年には同1,700万ヘクタールにもなった。「森林減少」のグラフは先進国の森林は微増傾向なのに、途上国の森林は'75年に比べて'90年には7%も減ったと示している。「熱帯林の面積と植林地面積」の表を見ていただくと、最初に危機的な状況に陥ったアジア太平洋地域では熱帯林の減少ペースを上回る植林が始まっていることが知れるが、アフリカやラテンアメリカではまだ荒れるに任せるに近い。

 ただし、熱帯林の伐採跡地に植林したからといって、生態系の点からも簡単に森が再生するものではない。企業が一度伐採したら、周囲の人たちは農地化しようとする。そこに住む人たちの生活サイクルに組み込まれ、仮にそれを取り上げ、囲い込んで植林しようとするなら、住民が参加できて利益が得られ納得のいくシステムを作ってあげなければならない。そうした林業を「社会林業」と呼び、「平成8年林業白書」が国際森林・林業協力の項で取り上げているように、近年、大きな柱となっている。

 「熱帯雨林における微気象観測とエネルギー・水蒸気輸送量の推定」といった基礎的研究を見ていると、我々人間が熱帯林について、あまりに知らな過ぎると気付く。勉強がようやく始まったのであり、この程度の知識で熱帯林を再生できると考えるのは甘いだろう。

 森林生態学の四手井綱英氏は「日本林業の今後に想うこと」で「近い将来外材輸入が難しくなる時が来ると、私は見ています。その時に備えて、百年単位の経営感覚で天然林をも経営できるような、本当に山を熟知した人を育てたいですね。若者たちが毎日の仕事に専念しながら、そこで生じた自然への疑問や関心に、大人が適切に応えていく環境が必要です」と語っている。

 内外で本当に残したい森林とは何なのか、それにはどれだけのコストと人を見込むべきか、今やきちんとした議論をすべき時だと思う。