第695回「世界的先進だった縄文・石器時代とアズキ栽培」
稲作と同じように中国大陸からもたらされたと考えていたアズキ栽培が日本で始まったとのニュースを6月6日付の第694回「小豆は縄文の日本で誕生判明にメディア無関心」で伝えました。国内メディアは無知なようですが、縄文時代とそれに先立つ石器時代に日本列島は世界的に見て極めて先進的な文化を育てていました。世界最古土器とみなされる縄文土器や旧石器時代の磨製石斧がそれです。土器は農耕の副産物と考えていた欧米の歴史観からすると、3000年前の稲作開始より1万年以上遡って始まった縄文土器は意味不明の異常事態でした。また、刃の部分を研ぎだす磨製石斧は3万年前ごろに日本列島で大量・集中的に造られ、日本で発明された可能性が高いのです。1万年以上前からの日本でのアズキ栽培判明は、こうした先進性の不思議を解明する「てこ」になると考えられます。
青森県東津軽郡外ヶ浜町にある旧石器時代終末期から縄文時代草創期の遺跡「大平山元T遺跡(おおだいやまもと いち いせき)」は、2013年に国の史跡に指定、2021年には「北海道・北東北の縄文遺跡群」として世界文化遺産に登録されています。
外ヶ浜町のウェブ《世界文化遺産 史跡 大平山元遺跡とは》に中学生が拾った石器から遺跡を発見した経緯から、炭化物付着した「無文土器片」発見までが詳しく述べられています。炭素を含む有機物の年代を測定するC14測定で16500〜15000年前とされました。これはまさに縄文時代が始まった時点です。
実は「2万年前の土器片を中国・江西省の洞窟遺跡で発見した」と、北京大や米国などの研究チームが2012年に米科学誌サイエンスに発表しています。しかし、年代測定は破片が見つかった地層に含まれる動物の骨や炭などの炭素を調べたもので、大平山元T遺跡のように土器付着の炭化物を直接調べたものではありません。最古の信憑性はかなり希薄です。
2013年の「Nature ダイジェスト」《日本の縄文土器は、調理に使われていた!》では、土器の推定使用法の一つに魚の煮炊きがある点や、縄文時代が不当に低く扱われてきた経緯が紹介されています。
《1990年代前半には、大平山元からわずか数km離れた場所で、縄文時代最大級の集落跡である三内丸山遺跡が発見・発掘された。そこからは建物や墓の遺物も見つかり、集落の空間計画が行われていたことが裏付けられまた、大量の土器片が見つかるなど豊かな物質文化が花開いていた証拠も得られた》
《この発見がなされたのは、戦後から続いてきた日本の経済成長路線がちょうど終わる頃であり、縄文文化は、日本列島における持続可能な地域生活の手本として、大衆の新たな想像力をかき立てたのだった。縄文時代は自然と調和して生きていた日本の原風景として受け入れられるようになった》
磨製石斧は《旧石器時代の磨製石斧》でこう解説されており、石器時代日本の先進的な独自性が見て取れます。日本に特異に多く分布する地図はこちらから引用です。列島で広くかつ多彩に発展しました。
《磨製石斧の製作に用いられる素材は、扁平な礫をそのまま利用する例もあるが、多くは自然面を大きく残した分厚い一次剥片を中心にしている。この剥片の周縁を打調し、楕円形、長楕円、短冊形に仕上げている。その後、刃部の一部を研磨するのであるが、研磨面積はそれほど大きくなく、自然面のカーヴが磨製面の役割りを示す例も多く認められる》
《日本の旧石器文化に発見される斧形石器の刃部磨製例は、名実共に「磨製石斧」と呼べる形態を示す器種である。世界の旧石器時代遺跡からの磨製石斧の発見例は少なく、オーストラリアにやや集中して発見されている例は非常に特殊なものである。楕円形の扁平自然礫をそのまま打調を行わないで、着柄部に溝が走り自然礫面と研磨痕は明瞭でない。年代は2万年代を最古に、かなり新しい時期にも存続している》
《日本の旧石器文化の磨製石斧は、不思議なことに3〜4万年前に集中し、その後は草創期にならないと出現しない。つまり現在「世界最古」の磨製石斧であり、さらにこの磨製技術は日本で独自に発明された可能性もある》
この事情から日本で発明されて高度化したのは確実でしょう。現代まで続く「モノづくり日本」の原型と言われることさえあります。この時代の石器では黒曜石を原料にした物が有名で、産地である伊豆諸島の神津島までたびたび航海して入手していたことが分かっています。別の場所に移住するための航海ではない、こうした便宜的な往復の航海例も石器時代世界で初めてのようです。
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第157回「日本人の起源を読み解く@2008リンク集」(2008/03/23)
第203回「衝撃:ネアンデルタール遺伝子が現生人類に」(2010/05/08)
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外ヶ浜町のウェブ《世界文化遺産 史跡 大平山元遺跡とは》に中学生が拾った石器から遺跡を発見した経緯から、炭化物付着した「無文土器片」発見までが詳しく述べられています。炭素を含む有機物の年代を測定するC14測定で16500〜15000年前とされました。これはまさに縄文時代が始まった時点です。
実は「2万年前の土器片を中国・江西省の洞窟遺跡で発見した」と、北京大や米国などの研究チームが2012年に米科学誌サイエンスに発表しています。しかし、年代測定は破片が見つかった地層に含まれる動物の骨や炭などの炭素を調べたもので、大平山元T遺跡のように土器付着の炭化物を直接調べたものではありません。最古の信憑性はかなり希薄です。
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《1990年代前半には、大平山元からわずか数km離れた場所で、縄文時代最大級の集落跡である三内丸山遺跡が発見・発掘された。そこからは建物や墓の遺物も見つかり、集落の空間計画が行われていたことが裏付けられまた、大量の土器片が見つかるなど豊かな物質文化が花開いていた証拠も得られた》
《この発見がなされたのは、戦後から続いてきた日本の経済成長路線がちょうど終わる頃であり、縄文文化は、日本列島における持続可能な地域生活の手本として、大衆の新たな想像力をかき立てたのだった。縄文時代は自然と調和して生きていた日本の原風景として受け入れられるようになった》
磨製石斧は《旧石器時代の磨製石斧》でこう解説されており、石器時代日本の先進的な独自性が見て取れます。日本に特異に多く分布する地図はこちらから引用です。列島で広くかつ多彩に発展しました。
《磨製石斧の製作に用いられる素材は、扁平な礫をそのまま利用する例もあるが、多くは自然面を大きく残した分厚い一次剥片を中心にしている。この剥片の周縁を打調し、楕円形、長楕円、短冊形に仕上げている。その後、刃部の一部を研磨するのであるが、研磨面積はそれほど大きくなく、自然面のカーヴが磨製面の役割りを示す例も多く認められる》
《日本の旧石器文化に発見される斧形石器の刃部磨製例は、名実共に「磨製石斧」と呼べる形態を示す器種である。世界の旧石器時代遺跡からの磨製石斧の発見例は少なく、オーストラリアにやや集中して発見されている例は非常に特殊なものである。楕円形の扁平自然礫をそのまま打調を行わないで、着柄部に溝が走り自然礫面と研磨痕は明瞭でない。年代は2万年代を最古に、かなり新しい時期にも存続している》
《日本の旧石器文化の磨製石斧は、不思議なことに3〜4万年前に集中し、その後は草創期にならないと出現しない。つまり現在「世界最古」の磨製石斧であり、さらにこの磨製技術は日本で独自に発明された可能性もある》
この事情から日本で発明されて高度化したのは確実でしょう。現代まで続く「モノづくり日本」の原型と言われることさえあります。この時代の石器では黒曜石を原料にした物が有名で、産地である伊豆諸島の神津島までたびたび航海して入手していたことが分かっています。別の場所に移住するための航海ではない、こうした便宜的な往復の航海例も石器時代世界で初めてのようです。
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