第57回「毒のサイエンスと犯罪心理」

 和歌山で起きたヒ素と青酸による無差別カレー殺人事件は、犯人像の差はあるものの、オウム真理教による地下鉄サリン事件・松本サリン事件を思い起こさせるものだった。県庁都市和歌山といっても、現場の園部地区は周辺部の田舎との印象が、かつて和歌山支局員だった私には強い。所属している共同体社会の中で無差別殺人を試みたのだとしたら、これは一連のオウム真理教事件よりも心理的に高いハードルを越さねばなるまい。半面、毒物は、持ってしまった人間に「使ってみたい」との欲望を刺激する神秘的な性質があるようだ。そして、毒を出す動物・植物にも、人間は触れてはならないもの故のときめきを感じる。

◆毒素と毒物/天然から人造、そして兵器へ

 「『毒の歴史』〔新評論刊〕の各章扉に訳者が記した要約」は12編の簡潔な文章であるが、とても魅力的だ。例えば「第6章:ポントスの王、毒の王」では「紀元一世紀、薬草・毒草の宝庫、黒海南岸の地に生まれ、ローマと死闘を繰り広げたポントス王ミトリダテス・エウパトルは、実利的な目的の追求から毒物の研究に打ち込む。解毒薬テリアカ、血清療法、予防薬などの考案、毒物の軍事利用など、王が後世に残した遺産は多い」といった調子。古代から中世への天然の毒の暗躍が、大量殺戮兵器に発展、ナチスドイツの毒ガス、現代の化学兵器、さらには日常の中の毒物、ダイオキシン、環境ホルモンなどに至る壮大な歴史が見えてくる。

 「毒」と冠した動植物の中で、我々が一番、接触しやすいものは毒キノコだろう。「日本の毒きのこと中毒の型」には、「細胞を破壊し,肝臓,腎臓に障害を与え,死をもたら」し「激しい下痢・腹痛,肝・腎臓障害」「徴候が現れるまでに6時間以上,通常10時間」の猛毒キノコ類を始め、悪酔い型、幻覚・精神錯乱型、胃腸刺激−胃腸障害型、末端紅痛症状型の5タイプに分け、写真入りで説明されている。

 植物の毒をまとめている「綺麗な花には・植物毒」には有名なトリカブト、ベラドンナ、チョウセンアサガオなどが並ぶ。田舎で暮らしたことのある方には常識かもしれないが、赤く山野を染めるヒガンバナ(曼珠沙華)にも毒がある。「もっとも毒性が強いのは球根の部分でリコリンの他にガランタミンも含む。誤食した場合、吐き気、下痢、中枢神経の麻痺を起こし、死亡する場合も」とある。

 同じ「かるま堂」ウェブにある「獣の力・動物毒」も毒蛇から始まり、その3タイプ「コブラの神経毒、マムシ・ハブの出血毒、ヤマカガシの血液凝固を妨げる毒」といったデータで溢れている。イカについての項で、ちょっと意表を突かれた。「イカ自体ではなくイカの塩辛にした場合人体に危険が及ぶ。『イカの塩辛』とは細切りにした烏賊の身に中腸線(肝臓の皮膜を破った中身)をまぶした物をいう。烏賊の肝臓には銀・コバルト・カドミウムなど海水中の殆どの元素が濃縮されている。よって海水の汚染が激しいところの烏賊の肝臓はそれだけ毒性が強いと考えていい。なぜなら食物連鎖の上の方に烏賊は位置しているからである」と指摘する。このウェブはあらゆる毒の百科事典になっている。

 学問的に毒のデータを網羅しているページに、学生さんが作っている「毒物辞典」もある。

 医学の立場からの中毒情報では「日本中毒情報センター・ホームページ」が欠かせない。日常起きる中毒についてなら、たいていの情報が手に入る。もちろん、今回の事件についても提供されており、「ヒ素およびヒ素化合物による中毒について」などで、体内の物質代謝を狂わせるヒ素や青酸、アジド類の化合物別の致死量、症状、検査、治療などが専門家のレベルで詳述されている。中毒発生など統計データ類も豊富だ。

 病原性大腸菌O−157が出すベロ毒素の猛烈さは、人々に強い恐怖心を与えた。なまじ抗生物質を投与すると、菌が殺され細胞壁が破れて、毒素が体内に流れ出し、ショック死を誘うと考えられた。「細菌毒素の発見小史」は、細菌毒素を初めて見出した医学者はドイツ留学中の北里柴三郎だったと教えてくれる。

 「破傷風菌をマウスの後ろ足に注射すると、マウスは麻痺を起すのですが、その麻痺は後ろ足から始まり段々と身体の上の方に進展し首が動かなくなり、最後には全身に運動麻痺が及び死にます。筋肉、脊髄や脳を調べても破傷風菌は見つかりません」「そこで、培養した菌液をフィルターで濾過をして細菌を除き、その濾液をマウスに注射しました。マウスは死なないと考えていましたが、期待に反してそのマウスは破傷風の症状を出して、菌を注射したマウスと同じように死にました。そこで、『菌がマウスを殺すのではなく、菌が増えた液に含まれる或る物質でマウスは死亡する』と北里は直感的に考えました」

 細菌がつくる毒素は医学医療の世界にとどまるものではない。中毒死としてポピュラーなフグの毒も、フグがつくるのではなく微生物によってつくられ、食物連鎖を通じてフグの内臓に蓄えられるのだと分かってきた。詳細を伝えるウェブはないが、研究者の本の紹介「フグ毒のなぞを追って」がある。これはカリブ海ではゾンビをつくる毒と考えられている。

 この国にも化学兵器の爪痕は深く残っている。広島県には旧日本軍による製造拠点「毒ガス島」が存在した。毒物遍歴の最後は、その毒ガス島歴史研究所の「帝国陸軍化学戦略の研究」。七三一部隊による人体実験や、判明している多種類の研究開発に加えて、大戦中の「参謀本部作戦課は、アメリカ軍がベトナム戦争で使用した枯葉剤や、ナチス・ドイツが開発したサリン、タブン、ソマンなどの神経ガスを連想させる化学兵器を待望していたのである。事実、神経ガスの開発については、これに先立つこと約一年前にすでに研究が開始されており、京大教授(医学部勤務)の萩生規矩雄(医博)が1941年7月31日付で陸軍第六技術研究所によって『脳神経中枢毒ニ関スル研究』に嘱託任命されているのである。これら一連の神経ガスなどの開発については、ナチス・ドイツからの技術提携の有無も含めて今後検討してゆく必要がある」と述べる。

◆歯止めが掛からなくなりつつある犯罪風潮と心理

 「平成9年版犯罪白書のあらまし」にある図表「5か国における主要な犯罪の認知件数・発生率・検挙率 」から、1995年の犯罪発生件数と人口10万人当たりの発生率、それに検挙率を以下に抜き出す。  主要先進国の中で、まだまだ安全な国であることは一目で見て取れよう。英国の犯罪報道は大半が判決が出てからで、国内との差が言われるが、こんなに多くては記者も食傷して書くのが嫌になろう。国内は殺人の統計データも少な目だ。犯罪白書本文は、凶悪犯中の殺人について「認知件数は,昭和20年代前半に急増し,29年に3,081件のピークとなったが,その後は長期的に減少傾向にあり,平成8年は1,218件である」「発生率は,20年代後半に3.3から3.5で推移した後低下し,平成8年は1.0である」とまとめる。もうひとつの凶悪犯罪、強盗は「発生率は,昭和20年代前半に10から14で推移した後おおむね低下傾向を示し,平成元年に1.3となったが,その後上昇し,8年は2.0となっている」とあり、こちらは近年、明確に上向いている。

 統計データは劇的には動いていないが、犯罪が理解しがたい中身を持つようになっている点は、神戸の児童殺傷事件や埼玉愛犬家連続殺人事件などで印象が強い。「戦後毒殺事件リスト」を一覧して、狂気はいつの時代にもあるようでいて、最近の事件には異質なものを感じる。この連載第44回「子供たちの新しい『荒れ』」で触れた、子供の心が孤立していく変化が根底にあるはずだ。共同体の絆を断ちきるためのポテンシャルは高まっている。

 犯罪では多重人格の問題も考えておかねばならない。「日本性格心理学会」の「性格心理学研究第6巻 第2号」で、「心因性記憶障害としての多重人格症状」と題した論文の要約を見つけた。「多重人格症状は,生得的な被催眠性の高さを準備状態とし,そこに自我形成期の前後にわたる重大な外傷的体験を被ることによって形成される個人内同一性間健忘という特殊な解離症状として説明できる」と主張している。平たく言えば、A人格のときには、もうひとつ持つB人格を忘れていられる「特殊な健忘」が起きることだろう。その基盤に生来の気質や脳の器質があり、成長期に与えられた戦争や災害、犯罪被害などの強い心的外傷が糸口になるらしい。少し難しいが、心理学分析の一覧窓口として、「今日までのプシコ語 」を挙げておく。

 和歌山カレー事件以後、一連の毒物・異物混入騒ぎが連鎖反応的に続いている。「模倣犯の心理」はこう分析する。「私たちの心の中には、お金がほしいとか、誰かをやっつけてやりたいといった気持ちがあるでしょう。でも、普段はその気持ちにブレーキがかかっていて、犯罪を実行することはありません」「どうしてもお金がほしい。あいつを殺してしまいたい。そんな思いで悶々としているとき、派手な犯罪が起こります」「マスコミが報道合戦を繰り広げ」「生々しく、現実感をもって、膨大な情報が降り注いできます」「その情報のシャワーの中で、犯罪は割に合わないという冷静な気持ちは薄れていき、『自分もやってやろう』『きっと成功するに違いない』と思ってしまうのかもしれません」

 和歌山事件の本当の全貌が明らかになるのは、裁判で本格的な攻防が展開されるくらいまで待たねばならないから、かなり先のことになろう。しかし、田舎で起きた毒物による無差別殺人として、似たケース「名張ぶどう酒殺人事件」が知られている。1961年、公民館に集まった地区の女性に出されたブドウ酒に有機リン系農薬が入れられ、十数人が倒れ、5人が死んだ。再審請求中の事件ではあるが、ここでは裁判の過程で明らかになった様々な事実が集成されて読める。

 公訴事実によると動機はこのようになっている。「被告人は」「昭和34年8月ころから、近所の後家北浦ヤス子と情交関係を結ぶようになった」「右情交関係が妻に発覚して夫婦喧嘩が絶えなくなった。一方、ヤス子も部落の人達の非難などから被告人と別れる態度を見せ、昭和36年2月20日ころ最後に逢い引きしたときには、これ限り関係を断ちたいと言い出した」「いっそ妻とヤス子を殺して三角関係を清算しようと考えるようになった」「女性用の酒に有機燐製剤の農薬」「を入れて飲ませれば、酒好きな妻とヤス子を間違いなく殺せる、他の女性多数も殺すかもしれないが、犯跡隠蔽のためには仕方ない、と考え」「竹筒1本を作って、100CC瓶入りの農薬から相当量を移し換えた」

 このレポートは「一抹の不安もなく被告人がやったと言い切れるか、どうか」がポイントであると、この被告への死刑反対の立場から、ブドウ酒の受け渡しを中心に綿密にいきさつを検証している。一審無罪、控訴審死刑、最高裁上告棄却の事件。使った毒に指紋が付くものでない、この種の事件での犯罪捜査、人が人を裁く難しさも自ずと理解されると思う。